世界から愛されるプロツアー王者、リード・デューク

晴れる屋メディアチーム

主人公、リード・デューク

先週プロツアー『ラヴニカのギルド』ぶりとなるプロツアー・ファイレクシアが、アメリカのフィラデルフィアで開催されました。数々の強豪が世界から集い、久々のテーブルトップの大会ということで、深夜遅くまで観戦していた方もいたかと思います。

今回のプロツアーはリード・デューク選手の優勝で幕を閉じました。彼はマジック・プロツアー殿堂の1人であり、マジックプレイヤーであればきっと誰もが知っているプレイヤーでしょう。

2011年のMagic Online Championship(MOCS)の優勝を皮切りに、世界選手権準優勝やプロツアートップ8などの輝かしい結果を残しているデューク選手ですが、プロツアー優勝はまだありませんでした。しかし、今回のプロツアーにて優勝という偉業を成し遂げたのです。

この記事ではそんな偉大なるプレイヤー、リード・デューク選手のインタビューを晴れる屋独占でお届けします!

念願の優勝

――プロツアー優勝おめでとうございます!まずは率直に優勝したときの気持ちを教えてください。

プロツアー優勝はまさに夢のような出来事です。決勝戦が終わったとき、私はまだゲームに入り込んだ状態で、冷静さと集中力を保とうとしていたので、すぐに実感が湧きませんでした。ただ司会のセドリック・フィリップスが私をステージの前に呼び、「プロツアー・ファイレクシア優勝はリード・デューク!」と言い放ったときに、初めてそれが現実のものだと理解しました。その瞬間、思わず少し涙を流してしまいましたね。

――優勝から日が経ちましたが、なにか変化はありましたか?

それから数日、本当にたくさんの祝福や応援の声に圧倒されましたね。どれだけの人が私を応援してくれていたのか、そして自分の優勝を喜んでくれたのかを実感しました。それは優勝そのものよりも嬉しいことでしたね。

帰ってきたプロツアー

――今回のプロツアーはいつごろから練習しはじめたんでしょうか?

大会前週の金曜日から本格的に練習を始めました。だいたい丸々1週間かけて準備したことになります。

――どのようなコミュニティで調整を行いましたか?

左からガブリエル・ナシフ、ルイス・スコット=ヴァーガス、セス・マンフィールド

調整はガブリエル・ナシフ、ルイス・スコット=ヴァーガス、セス・マンフィールド、マーティン・ジュザ、ローガン・ネトル、マイク・シグリスト、そのほか多くの素晴らしいプレイヤーとフィラデルフィアの家をシェアしました。彼らの協力なしには、成し遂げることができなかったでしょう。

――そうそうたる調整メンバーですね!今セットのドラフト方針やパイオニアの選択デッキ理由について教えてください。

呪い金の斬撃肉剥ぎの猛禽ギタクシア派の猛禽

今回のドラフト戦略は、堅実なデッキを作ることと「毒カウンター」戦略にオールインしないことでした。上手くいかなかったときに、取り返しのつかないことになってしまいますからね。この環境で好きな色は赤で、青をドラフトするのはよっぽど空いているときだけです。

構築ラウンドで使用した「イゼット独創力」に関しては、チームを信頼していました。いまのパイオニア環境はとてもバランスが取れていると思うので、デッキパワーが高く能動的なデッキを選びたかったんです。チームとして《不屈の独創力》デッキには多大な労力を費やしたので(特にマイク・シグリストが)、このデッキが堅実な選択であることは分かっていました。

――同じ調整チームであるナシフ選手もトップ8に入賞と、素晴らしい結果になりましたね!久々に開催されたテーブルトップのプロツアーでしたが、なにか以前と変わったことはありましたか?

昔ながらのプロツアーという感じでしたが、一番違ったのは自分の心構えです。楽しむことが目的であり、特に結果を期待していませんでした。そのおかげで、落ち着いて最高のプレーができたのかもしれませんね!

過去と未来

――いつごろからマジックを始めたんでしょうか?また、そのときよく使っていたデッキについて教えてください。

サルタリーの僧侶サルタリーの修道士浄火の鎧

私がMTGを始めたのは、1995年の『アイスエイジ』で当時5歳のときでしたね。最初の”まともな”デッキはシャドー・クリーチャーと《浄火の鎧》を使った「白単ウィニー」でした。

――そこから時を経て競技マジックの世界に足を踏み入れるわけですが、初めてのプロツアーはどうだったんでしょうか?

最初のプロツアーは2010年のプロツアー・アムステルダムで、誰にも勝てず0-6でスタートしてしまいした。それでも素晴らしい時間を過ごし、丸一日粘って最後の2ラウンドでなんとか勝利を収めることができましたね。

――そのとき初めて勝利した相手が日本人だったことを覚えていますか?実はいま、そのときの対戦相手の方のツイートが話題になっているんです。

そうそう!私のプロツアー初勝利の相手は日本人プレイヤーだったんですよね!和気あいあいとした試合で、最下位卓にいることを一緒に笑い合いました。彼とは数年後、グランプリ・バンコクで再会することができました。

――互いに違う国のプレイヤーが、違う国でまた再会できるのもマジックの魅力ですね!ここまで数々の実績を積んできたデューク選手ですが、自分の強みはなんだと考えていますか?

私のプレイヤーとしての強みは、パフォーマンスが安定していて、苦手が少ないところです。完全無欠のスーパーヒーローというわけではありませんが、いつでもどんな日でもどんなフォーマットでも、堅実なマジックをプレイしているところを見かけることができるでしょう。

――同じく競技マジックの高みを目指すプレイヤーへなにかアドバイスはありますか?

ほかのプレイヤーへのアドバイスとしては、一生懸命に質の高い練習をすることです。単にマジックをたくさんプレイするだけでは十分ではありません。自分の取り組み方に対して積極的に疑問を持ち、ゲームが上達する方法を学ぶ姿勢が必要です。

――デューク選手といえば、基本的に落ち着いていて常に冷静なイメージがあります。プロツアー『異界月』のラウンド16、最後に相手がゲームを決める《集団的抵抗》のマナを勢いのあまりタップせず唱えたとき、冷静にマナをタップするよう指示され、その礼儀正しく丁寧なところが印象に残っています。

プレイヤーがライフを0にするまでゲームが終わることはありませんからね。ゲーム中はもちろん一生懸命にプレイしています。だから、相手がリーサルになる攻撃やバーンスペルを正しく唱えるまで、私は勝利を譲りません。

――これまでプロツアーに何度かトップ8に入賞してきましたが、惜しくも準々決勝どまりでした。しかし今回は優勝に終わったということは、デューク選手はまだまだ成長しているということになります。かつての自分と比べて、どんなところが成長して優勝につながったと実感していますか?

今大会で私が行ったことの1つは、柔軟性を保つことでした。既定のゲームプレイやサイドボードの戦略に固執するのではなく、ゲームの展開に対する自分のビジョンを信じ、それに従って行動しました。この勝利は自分だけの力ではなく、チームと私の人生で得た素晴らしいネットワークのおかげだと思っています。

――そして、ついにプロツアー優勝という大きな目標を達成されました。今後の目標はなんでしょうか?

もうひとつは、世界選手権で優勝することです。その先の目標は、ほかの人たちの手本となること、そして次の世代の選手たちをサポートすることです。

日本のみなさん、ありがとう

――日本のプレイヤーで好きなプレイヤーはいますか?

左から市川 ユウキ、熊谷 陸、石村 信太朗

私は日本のマジックの大ファンです。中村 修平、三原 槙仁、八十岡 翔太を見て育ちましたからね。市川 ユウキと熊谷 陸は今、最高のプレイヤーだと思います(陸はプロツアーで対戦したときに、とてもいいプレーを見せてくれました)。また、石村・rizer・信太朗と彼のクレイジーなデッキの長年のファンでもあります!

試合だとプロツアー『カラデシュ』のラウンド15で、翔太と対戦したのもお気に入りの1つです。

――では最後に日本のファンへ一言お願いします。

マジックをプレイするために3回ほど日本に来たことがあるのですが、また機会があれば来たいと思います。みなさんが歓迎してくれて温かい応援をしてくれることに、いつもとても驚かされます。日本のマジックプレイヤー、ファンのみなさん、Doumo Arigatou Gozaimasu!

リード・デューク/Reid Duke(Twitter/Twitch)

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