Translated by Takumi Yamasaki
(掲載日 2017/08/24)
イントロダクション
この記事では、正直なにについて書くか決まってなかったんだ。俺が最後に参加した2つのトーナメントを思いだすと、プロツアー『破滅の刻』では「黒単ゾンビ」を使い、モダンフォーマットで開催されたグランプリ・バーミンガム2017では「赤緑スケープシフト」を使用した。俺はこの両イベントでそれなりの結果をだすことができた。しかし、この2つのデッキはとても簡単なデッキだ。だから特に教えることがないように感じている。
だが、俺が大切なイベントで簡単なデッキを選択し、しかも上手くいったという事実がどうも俺らしくないことに気が付いたんだ。そしてなにをシェアしたいのかハッキリと分かってきた。俺は長いマジックキャリアの大部分を複雑なデッキに対する強いバイアスに苦しんでいたんだ。そして、このバイアスをなくすことは自分自身をかなり強くしてくれたということに気づくことになった。
なぜ俺たちは難しいデッキを使うべきでないときに、そのようなデッキを使うべきと感じてしまうのか。それにはいくつか悪い理由がある。俺は数多くそんな経験をしてきたから、少しかみ砕いて説明しようと思う。
俺はトップメタではないデッキのプレイを正当化していたが、その理由はどうあがいてもただの言い訳にしかならなかったんだ。まあ、これだけじゃ俺を信じてはくれないだろうし、俺がただ謙遜していると思ってる親切な人もいるだろうな。とりあえず例を挙げてみよう。
俺は……
–プロツアー『カラデシュ』で、構築部門において最も優秀だった「青白フラッシュ」の正確なリストを知っていたが、「青赤《電招の塔》」を使用した。
–プロツアー『霊気紛争』で、TOP8に6つも入賞した「マルドゥ機体」の素晴らしいリストを知っていたが、「4C霊気池サヒーリコンボ」を使用した。
さて、これで信じてくれるかい?それでは始めようじゃないか……
間違った理由 #1 ~だって、タイトにプレイすればするほど勝つはずなんだ~
俺たちは一緒にプレイテストをしているとしよう。俺は自分の好きなデッキを使い、対する君は一般的なリストの「ラムナプレッド」だ。結果は4-6だったが、俺は対戦の中で他の選択肢もとれたし、別のプランを辿ることもできた。もっと上手くプレイできると感じたんだ。このマッチアップは最低でも勝率50%はあるに違いない……だが、本当にそうだろうか?
俺はそうは思わない。プロツアーでより良いプレイができる保証は微塵もない。もし俺がプロツアーで上手くプレイできたとしても、なぜ調整相手の君に対してそれが発揮できないんだ?少なくとも言えることは練習の結果を信じるべきってことだ。
完璧なプレイヤーであればより良い結果が得られると君が感じているとしても、それが正しいとは限らないし、またそうなれるとも限らない。君が目標とするイベントが開催されるその日までに、そんな完璧なプレイヤーになれるとは限らないのだ。
間違った理由 #2 ~でも、対戦相手を出し抜きたいんだ~
これはみんなが目指していることだ。だがこの本当の意味とは一体なんだろう?「相手を出し抜く」という意味は君の素晴らしい技術を用いて、デッキすべての可能性を引きだすことだと言えよう。なぜ簡単なデッキをプレイすることは期待値を捨ててしまうように感じるのか、俺には分かる。
例えば、完璧にプレイできたときに100%の力がでるデッキ、AとBがあるとしよう。平均的なプレイヤーはデッキAを95%で、デッキBを80%のみの力で引きだすことができるとした場合、デッキBには君の技術が介入する余地がより多く残っているわけだ。
ただ、これは以下の2つの事実を見落としている:初めに間違った理由 #1に戻ってみよう。先ほどの両デッキは確実に同じ可能性を秘めている。なので、たとえこの2つのデッキを完璧に扱ったとしても、それは等しく良いデッキである。
2つめ、マジックはとても難しいゲームであり公平だ。簡単に見えるデッキでさえ、平均的なプレーヤーにとっては多くのミスプレイが発生する余地があるだろう。言い換えると、どんなデッキをプレイしてもそれは決して100%の力を引きだすことはできない。つまり、うまくプレイすることでポテンシャルを上昇させる余地は常に存在するということだ。
ゾンビを使用した俺の最近の経験では、その点で関連性がある。このデッキは多くの決定を必要としない。計算も簡単だし、盤面が複雑になることはめったにないだろう。ゾンビ達が機能しだすとすぐに勝つことができるからな。
それでもしっかりとしたテストプレイを行い、スタンダードを分析していたにもかかわらず、勝つことができるはずだった「赤緑《静電気式打撃体》」に、《暴力の激励》をケアする余裕があるかわからなかったために負けてしまった。別の「黒赤エルドラージ」とのマッチでは対戦相手のサイドボードプランを勘違いしていた。俺はコントロールプランとしてサイドしたのだが、そうではなく相手の《アクームの火の鳥》とのダメージレースをするべきだったのだ。
なにが言いたいかというと、たとえ簡単でまっすぐなデッキを使っていても、他の多くの要因が依然として適用され、それを使ったとしてもスキルの限界を超えることは非現実的ということだ。
とりわけ重要なのは相手のデッキである。モダンの「感染」を思いだしてくれ。たとえどんなデッキを使っても、君は常にギリギリの対戦をこのデッキと繰り広げている。要約すると、簡単すぎるデッキなどないということだ。そして君はただそのデッキを上手く使えるというだけで、勝率は勝手に改善していくんだ。
さらに、もし君が上手なプレイヤーだったとしても、正しいことにほとんど気が付かないこともあるだろう。他のプレイヤーがゾンビ対青赤コントロールというマッチアップで対戦しているのを見ていて、気づいたことがある。このマッチアップでは本当は、《無情な死者》を《マグマのしぶき》で追放されないように、自分の除去+1マナを常に構えていたいんだ。
俺の場合は過去に対戦した経験があったので、俺にとってはとても当たり前のようにやっていることだったんだが、多くのプレイヤーが手札の《致命的な一押し》を抱えたまま勝てるゲームを落とし、負けているのをみて衝撃を受けたよ。当たり前のことだが、自分がプレイスキルを活用できているかどうかなんて、そうできていないプレイヤーのプレイを見るまで自覚しないものなんだよな。
間違った理由 #3 ~仮に負けたときに何もできることがなかったとしたら、精神衛生上悪いじゃないか~
この話は少し根が深くなる。何もできることがなかったということに対して、ティルトに陥るプレイヤーはそんなに多くない。もし君がそうだと言うなら、まず始めにその改善に取り組むべきだ……なぜなら、たとえどんなデッキを選択しても、ストレートに負けてしまうことはマジックのなかで結構起こることの大きな部分を占めているものだからだ。
俺の経験から言うと、人は悪い選択肢を選んで負けたときに、より激しいティルトに陥ってしまう。またたとえティルトにならないにしても、そもそも相手のデッキもわからないのに『ああできたかも』『こうすればよかったかも』と思い悩むという単純なこと自体が、トーナメントの進行中は実際は良くないことなのだ。
負けたときは、頭を空にして次のゲームに目を向けるべきだ。簡単なデッキはそうすることを許してくれる。対戦相手がトップデッキしたから負けた?良いだろう、君にできることはなにもないから考えても仕方ないな。君がミスプレイをして負けた?いいだろう、もう君はそれを見つけたわけだから、よかったな、次はうまくやれるわけだ。レベルアップしたってだけの話さ。だが、2ゲーム目が始まろうとしているときに、1ゲーム目を勝てたかもしれないなどと考えるのは、ただ多くの勝利期待値を捨ててしまっていることになるのだ。
そしてそれこそが、俺自身も体験した問題につながる。俺は滅多にティルトにならない。老いぼれているとはいえ、正しい選択を行ったかどうかいくらでも考えることができる。だから俺は上達することができた。ただ、短い期間ではどうか、トーナメントは常に短期間だ。トーナメントの間でみると、反省をすることは明確に悪影響がある。
別の言い方をすると、はたして『やった、自分は完璧にプレイしたぞ!』なんて言えるゲームがどれだけあるだろうか?って話だ。俺が思うに、上手くなればなるほどそんなことは言わなくなるんだ。そのころにはどのくらいこのマジックというゲームが深いかに気づくだろうからな。
そして賭けてもいいが、2ラウンドを終えて2-0で、自分のプレイが全部合ってたと思えるなら、その達成感に勝る感情はないことだろう。わかるだろ、『自分のプレイが大体合ってると思っている』という単純な事実は、君自身のモノの見方に対しても大きなプラスの後押しとなるんだぜ。
君が納得してないことは分かっている。だからここで例をあげよう。例えば君が車のレースにいくとしよう。君が隅から隅まで知っているような簡単な車か、クールな新機能があり、押したこともないようなボタンが付いたファンシーな車、どちらを運転するか選べる。どちらの車が君をより快適にそのレースに出場させるだろうか?
もちろん、もしファンシーな車のほうが速ければ、そのときは運転の仕方を学ぶべきであって、そこは誤解しないで欲しい。俺は『いつどんなときでも簡単な方を選ぶべきだ』と言ってるんじゃない。俺が言いたいのは、プレイが簡単というのは明確にデッキの利点なのであり、欠点などでは断じてないということだ。
俺が言う簡単なデッキとはこういうものだ。
20 《沼》 4 《イフニルの死界》 1 《ウェストヴェイルの修道院》 -土地 (25)- 4 《墓所破り》 4 《戦慄の放浪者》 4 《無情な死者》 4 《呪われた者の王》 4 《戦墓の巨人》 1 《ゲトの裏切り者、カリタス》 -クリーチャー (21)- |
2 《致命的な一押し》 4 《闇の掌握》 4 《闇の救済》 3 《リリアナの支配》 1 《霊気圏の収集艇》 -呪文 (14)- |
3 《心臓露呈》 2 《荷降ろし》 2 《殺害》 2 《高速警備車》 2 《領事の旗艦、スカイソブリン》 1 《精神背信》 1 《大災厄》 1 《不帰+回帰》 1 《霊気圏の収集艇》 -サイドボード (15)- |
このリストは友人が参加するRPTQのために俺が作ったものだ。おそらくこのデッキは2週間後のグランプリ・トリノ2017でも使うだろう。すべてをシンプルに:このデッキが相互作用を起こすことは明らかだ。インスタントもそこまで多くなく、土地もただ基本的にはマナを生みだすだけだ。サイドボードもそれぞれどのデッキを対象にしているのかが極めて明確だろう。
予期できることとして、少し危険なミスが潜んでいる。土地を置く順番を間違ったり、ドローステップを待つのではなくアップキープに呪文を唱えたり……などだ。このデッキはとても感触がいい。深く理解しているし、俺はこのデッキのことをかなり上達しがいのあるデッキだと考えている。
選択肢はそこまで多くないが、その分絶対的な選択に集中することができる。1ターン目に《戦慄の放浪者》をプレイすべきか?それとも《戦墓の巨人》を活かすために4ターン目まで待つか?《無情な死者》のために1マナ浮かす余裕があるのか、ただマナカーブ通りにプレイするべきか?これらの選択肢は見た目では簡単だが、実際には多くのゲームプランを必要とし、すべてのマッチアップにおいて良い知識が必要とされる。これらは非常に重要なことだ。
シンプルであることの他の魅力は、極めることが容易なことだ。1ターンの中ではもちろんのこと、一定数の試合をこなしてもそうそうハプニングが起こらないので、1つのマッチアップでどうやったら勝てるのかを正確に理解することができるんだ。例えば2枚の《荷降ろし》。これはなぜ《精神背信》でも追加の《大災厄》でもないのだろう?
種明かしをすると、対ランプ戦では1対1のハンデスは彼らの『価値のある何か』を捨てさせることはできない。ランプデッキの4分の1は除去で4分の1はフィニッシャー、残りはマナだ。これでは相手の除去かフィニッシャーを抜き去るのは困難だろう。手札破壊スペルを唱えることで相手に時間を与えてしまうことにもなる。
しかし、《荷降ろし》であれば確実に相手のデッキを攻めることができるのだ。なぜなら、基本的に重いスペルを唱える前にマナ関係のスペルを唱えなければならないのだから、3ターン目に唱えることでさえ、確実に相手のゲームプランに大きな穴をあけることになるからな。
このアイデアは天才的だろうか?もちろん違うし、このアイデアにたどり着いたプレイヤーはたくさんいるはずだ。だが俺は天才じゃないので、もし自分自身のデッキをうまく回すということだけに対して無数にある別々の物事を考えないといけなかったなら、この戦略に気づくことは決してなかったと確信している。
というわけで、できれば、プレイテストで勝ち続けるデッキがあったならそれを使うべきだ。君は勝つことがどれほど素晴らしいことかに驚くだろうし、その後それを自分自身で祝福するだけの精神力にも驚くことだろう。
またな。
Pierre Dagen
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