津村健志インタビュー ~マジックに助けられ、マジックに悩み、マジックに恩返しを志す

津村 健志



【For English Speakers】

文・写真:瀬尾 亜沙子

 この春から晴れる屋の社員になり、晴れる屋の看板を背負ったプロプレイヤーとして大会に乗り込むこととなる津村健志。

 殿堂プレイヤーとして、また海外でもっとも人気のある日本人プレイヤーとして、「Kenji」の名はすでに有名ではあるが、あらためてその偉大な経歴とマジック観についてや、結婚相手に求める条件の話まで、今まで語られたことのないエピソードも含めてたっぷりと語ってもらった。

津村健志 プロフィール

1986年8月19日生まれ。身長167センチ、体重45キロ。
「フットサルをやっているのでもっと体重を増やしたいが、がんばって食べても体質的に全然太れない」とのこと。

プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、日本人では現在4人しかいない殿堂プレイヤーの1人でもある。2004年に日本選手権で準優勝して以来、プロツアーベスト8入り6回など数々の戦績を持つ。







●カードを引くのが好き!

――まずはプロフィールからお聞きします。マジックの好きな色は?

津村:青です。理由は中村聡さんと同じで、「カードが引けるから」。手札がいっぱいでディスカードするときが一番幸せ(笑)

――《スフィンクスの啓示》とか?

津村《スフィンクスの啓示》はちょっと引きすぎで、相手があきらめない程度に引くのが好きなんです。《好機》くらいがちょうどいい。《解放された者、カーン》とか、《残酷な根本原理》も好きなんですけど、MOでそのへんを使って、どこまでなら相手が投了しないで付き合ってくれるか試したことがあります(笑)

解放された者、カーン


――やりすぎてすぐに投了させてしまうと面白くないと。性格悪そうに聞こえますね(笑)

津村:確かに(笑)

――ほかに好きなカードは何ですか?

津村《ガイアの揺籃の地》は大好きですし、《精神の願望》も好きですね。ちょっとギャンブル性があるから多めに撃っても絶対に勝つわけではなくて、工夫しがいがあるので。

――純粋に強いというよりは、使い方次第なカードが好きってことですね。

ガイアの揺籃の地精神の願望


津村《けちな贈り物》もそういうところが好きですね。《けちな贈り物》とか《嘘か真か》とかで、それまでの行動で本当に欲しいカードはどっちか悟られないようにしとくっていうのが、かなり好きなんですよね。
たとえば、土地5枚で《けちな贈り物》撃って1マナしか残ってない時に、1マナのカード2枚と、2マナと3マナのカードを持ってきたら、相手は「1マナ使いたいだろうな」って思うから1マナの2枚を墓地に置く。でも実は手札に1マナのカードを抱えてれば、強い2、3マナのカードを持ってこれておいしいってことになる。そういう誘導ですね。

――なるほど、それも工夫ですね。

津村:あと、《解放された者、カーン》とか《プレインズウォーカー、ニコル・ボーラス》とか、大味なプレインズウォーカーも大好きです。

――《プレインズウォーカー、ニコル・ボーラス》の奥義を撃つんですか?

津村:撃ちたいんですけど、ほぼ投了されちゃうので(笑) 《残酷な根本原理》だったら、3枚引いても弱かったりして意外と勝てないんですよ。ちなみにどうでもいいんですけど、RADWIMPSの「会心の一撃」って曲を聞きながら《残酷な根本原理》を撃つのが最近のトレンドです。キャストする2ターン前くらいから曲を流し始めると、ちょうどサビがきていい感じですね(笑)

――「ぜひみんなもやってみよう、いい気分になれるぞ!」と(笑)

津村2010年のGP横浜で使ったエクテンのデッキは、《残酷な根本原理》とか《プレインズウォーカー、ニコル・ボーラス》が大量に入ってて最高でした。自分のデッキだと一番好きなデッキですね。

――ほかに好きなデッキというとどんなものがありますか?

津村:「ストンピィ」からマジックを始めたので思い入れはありますね。(齋藤)友晴さんがFinalsで優勝した時のほぼ完コピで、2年くらい使ってました。
次が「サイカトグ」。初めて青を使って、「なんて楽しいんだ、今まで人生損してた!」って思いました。
あと「ターボランド」も好きでエクテンでずっと使ってたんですけど、当時は今よりも下手だったし、「勝ちたいなら別のデッキ使いなよ」ってみんなにあきれられてました。

――「ターボランド」の何がそんなに気に入ったんですか?

津村:だって無限ターンですよ、子どものロマンじゃないですか(笑) 手札をカウンター7枚にしてエンドとかもできるんですよ。

――すでにだいぶ津村君の人となりが伝わってきたと思います。「相手が投了しない程度に痛めつける」「手札を全部カウンターにしたい」(笑)

津村:すっごい嫌なやつですね(笑)



●出会いはしぶしぶ

――それではマジックとの出会いから今まで、順を追ってお聞きしたいんですが、小学校5年生の時、第5版のころにマジックを始めたんですよね。

津村:まだ「遊戯王」のカードが発売されてなかったときに、「この漫画の元になったゲームはマジックです」って紹介されてて、友達がやってたんで一緒にやるようになりました。「遊戯王がなかったからしぶしぶマジックをやった」って答えると、どのインタビューでもまずカットされます(笑)

――でも、そのあと「遊戯王」のカードも発売になりますよね。

津村:最初はカードダスしかなくてあまり戦略性もなかったから、「これならマジックやったほうが面白い」と思って惹かれませんでした。

――なるほど。

津村:でもその後、小6に上がった時にサッカー部のキャプテンになって。カード買うお金もなかったし、友だちも中学受験でみんなマジックやめちゃったんで、すぐブームは去りました。

――ちなみにご兄弟は?

津村:姉と、あと弟もいるんですけど、みんなにそうは見えないって言われます。

――末っ子っぽいからですかね。弟さんはマジックやってないんですか?

津村:僕が11歳で弟が5歳の時に、やろうとしたことはあるんですけど、僕があまりにスパルタ教育すぎて一瞬でやめました。

――11歳じゃ、うまいこと負けてあげるなんてのもできないですしね。

津村:真面目な弟なので、その後は部活も勉強もがんばってました。これだけお兄ちゃんがダメだと、弟はがんばらざるをえなかったです(笑)





●ひきこもり少年をマジックが助けた

津村:中学に入って学校に行かなくなって……50日くらいしか行かなかったですね。

――「マナバーン2010」で以前インタビューした時にも、「中学校に行かなくなって、毎日暇で人生に絶望していた」って書いてありますね。

津村:ちゃんと話した通りに書いてあるんですね(笑) その通りです。

――どうして行かなかったんですか?

津村:もともと人の多いところが嫌いなんで、今までと人の多さも全然違うし、そもそも自分がなじもうとしなかったのが一番いけませんでした。
何も楽しいことがなくてぼけーっとしてたら、別の中学に行った小学校の同級生が「マジックやろうよ」って誘ってくれたんです。全然会ってないので、お礼を言いたくてしょうがないですね。原田君って言うんですけど。

――その人は「津村は俺が育てた」って言っていいですよね。もしこれを見てたら連絡ください(笑)

津村:ほんと、彼がいなかったら今ここにいないです。
当時カード売ってるところは限られてたんで、中学校の近くのお店に行ったら、僕のクラスメイトがいて、めんどくさいなと思ったけどそいつがめっちゃいいやつで、仲良くなって毎週大会行くようになりました。

――よかったですね。

津村:ほんと感謝してます。大会は自転車で1時間ちょいかかるところまで行かないとなかったんですよ。でも毎週通ってたらそこでもどんどん友達が増えて、仲良くなった人に別のお店を教えてもらって、そこは家から30分くらいだったんで、毎日学校がわりに通ってました。生活はめちゃくちゃで、朝の4時とか5時に寝て、夕方3、4時に起きて、みんなが学校終わるころお店に行ってっていうのを繰り返してました。

――初めて認定トーナメントに出たのがそのころだそうですね。

津村:そうです。そこからつてで檜垣(貴生)さんたちとも知り合えて。
あとお店に通うようになってからすぐ「ゲームぎゃざ」を買うようになりました。初めて買った号に友晴さんのThe Finals優勝が載ってたのを覚えてます。ネットもなかったので、毎月すごい読みこんでました。

――ありがとうございます(筆者は当時「ゲームぎゃざ」誌の編集をしていた)。

津村:だから記事には今でも思い入れがあって。昔から雑誌やカバレージを読むのが大好きで、すごいミーハーなんです。



●飛行機に乗りたかったグランプリ

――グランプリに初めて出たのはいつですか?

津村2002年の宇都宮です。ドラフトテーブルで「ロチェスターやったことない人?」ってジャッジに聞かれて、手を挙げたのが自分だけで恥ずかしかった。
これ、実は飛行機に乗りたかっただけなんです、それまで一度も乗ったことなくて。僕の師匠みたいな人で森本学さんっていう人がいるんですけど、ちょっと変わった人で、「俺今度のグランプリに飛行機で行くんだ」って自慢されたんで、「飛行機だったら僕も行きたいです!」ってお願いしたら、なぜか集合場所が広島駅だったんですよ。で、変だなーと思って行ってみたら……当然夜行バス。新幹線ですらない(笑)

――だまされた(笑)

津村:ぶっちゃけグランプリはどうでもよくて、飛行機だけが楽しみやったのに(笑)

――それでも、結果は21位と好成績だったんですね。

津村:ラッキーでした。

――その21位が、もう少しでプロツアーの権利が取れるという成績だったので、檜垣さんに「一緒にプロツアー行きたかった」と言われて、PTQに真面目に出始めると。

津村:練習もちゃんとするようになって、みんなについて中国・四国・九州、あと大阪のPTQを車でまわって、権利はすぐとれたんです。そんときに、後ろからただついてくだけで何もしないからあだ名が「コガモ」になりました(笑) ちなみに親ガモさんもいるんですよ。十文字太郎さんっていう。

――その人にくっついて歩いてたんですか?

津村:いや……なんで親ガモになったのかはよくわかんないですね。十文字さんも面倒見がいいですけど、みんな親ガモにふさわしいくらい優しかったので(笑)



●衝撃のカイ・ブッディ

――初めて行ったプロツアーは?

津村2003年のプロツアー・シカゴに、その十文字さんと、ルーキー(大礒正嗣)と3人で行ったんですけど、楽しすぎました。目の前にカイ・ブッディがいる時点でテンションあがりまくって。準決勝のブッディ対フィンケルって対戦を、今と違って当時はそばで見られたんで、ずっとブッディ見てましたね。

――その場で発見することがあったりするわけですか。

津村:その場と言うよりは、帰ってブッディの書いた戦略記事を見て勉強する感じでした。
その環境は住み分けするしかなくて、簡単に言うと除去が赤と黒にしかないから、8人で交互に赤・黒・赤・黒……と取るしかない、というのが一般的だったらしいんですよ。でもそんなことも全然知らなくて、僕は右の人が赤を取ったのに白を取って、そしたら左の人は黒を取るから、どうしてもいずれどっちかの人と喧嘩しないといけなくなってた。家に帰ってそういう記事を読んで、世界の常識を知らなかった、どんだけ差があるんだ!と衝撃を受けました。

――なるほどー。しかもそのときは念願の初飛行機だったんですね(笑)

津村:乗り継ぎも合わせれば10何時間とかでしたけど、ずっとうきうきしてて、飛行機の中から月が見えてわっしょいわっしょいしてました(笑)
でも飛行機がほんとに落ちるんじゃないかってくらい揺れた時があって、その時は隣にいたルーキーの手をずっとつかんでました。でもルーキーは「落ちないよー」とかモゴモゴ言うだけで (笑)

――いまいち頼りない(笑)

津村:マジックしてる時とは全然違いますね(笑) でもその後すぐ、ルーキーがめっちゃ勝ち始めて、身近な人があんだけ勝ち始めたのは衝撃的でしたね。広島勢でみんな同じくらい努力してたのにって。

――当時の広島のコミュニティはどんな感じだったんですか?

津村:檜垣(貴生)さんと上野(一樹)さんが年も上のほうでまとめ役みたいな感じでした。当時は全部で15人くらいいたと思いますけど、檜垣さんたちほど真剣にやってる人はそんなに多くなくて、一応プロツアー目指してる人は7人くらい。上野さんたちからしたら、ちょっと歯がゆいとか物足りないとかはあったかもしれないですね。

 

左から 大磯正嗣、檜垣貴生

――津村君もルーキーをとりたかったんですよね。

津村:「ルーキー」っていう称号とか、「最強高校生」みたいな呼び名にあこがれてて、やっぱ一生に一回しかとれないのでとりたかったですけど、近所にバケモンが住んでてダメでしたね。50点くらい離されてました(笑)



●皆 腰の抜けたスラッガー

――2004年の日本選手権までは、PTQは抜けられるけどグランプリやプロツアーに行っても全部初日落ちだったんですね。

津村:当時は「どうせ行っても負けるしなー」って大会に行きたくなくなってました。
でもその時、(岡本)尋さんのぎゃざの記事で、「大会に出ないやつにはチャンスさえない」って書いてあったんです。数撃ちゃ当たるじゃないですけど、撃たなきゃ当たりもしない。尋さんくらい強い人でさえそれくらいの心構えなら、こんな弱い自分が大会に出たくないなんて言ってちゃダメだなと思ったんです。
あと、このころ森田(雅彦)さんたちとも話すようになって、森田さんがBUMP OF CHICKINの「ノーヒットノーラン」って曲が好きだと。「どんな大物スラッガーでも打席に立つ前は緊張する」っていうような歌詞なんですけど、当時グランプリに出ればトップ8ってくらい勝ってた森田さんでもこんな曲に共感するんだ、大会で緊張するんだって驚きました。

――そのおかげでやる気が出たと。

津村:どうせ勝てないようなやつが大会出る前からびびってたらあかん、と思って大会に対する恐怖心みたいなものは感じなくなりましたね。



●デビューから大阪へ


――2004年の日本選手権で、直前予選から準優勝まで駆け上がって、華々しくデビューしました。

津村:ラッキーでした。やっぱり「親和」が強かったかなと。ドラフトは確か4-2とかで平凡な結果だったんで。
決勝でローリー(藤田剛史)さんと当たって、やっぱり優勝にかける思いが全然違うって感じましたね。ぶっちゃけ、大阪でローリーさんが優勝する以上にいいエンディングはないから、僕が勝っちゃダメかなーとやりながら思ってました(笑)
その後、世界選手権に向けてローリーさんたちと大阪で調整したおかげで、マジック観がかなり変わりました。

――今までも広島勢とがんばっていたわけですが、大阪ではまた違いましたか。

津村:広島はいい意味で真面目でストイックというか、厳しかったですね。ミスったらボロカス言われて当たり前だし、いかさましたらやめさせられる。真剣に世界を目指すという感じでした。ただし檜垣さんの考え方として、マジックをやめたとしても友だちとしての付き合いがなくなるようにはしたくないというのがあって、マジックでは厳しくても普段は楽しくしようっていうのは徹底してました。

――仕事とプライベートは分けるって感じですね。

津村:そういうきっちりした感じだったんですけど、ローリーさんたちはある意味対極的で、マジックを趣味の延長上としてすごく楽しそうにやってるのが違いました。

――練習を楽しくやるんですね。

津村:あとずっと自分のことを下手だって言ってて、「またまたぁ、謙遜して」と思ったんですけど、本当にそう思ってるんですよね。
僕はそれまでにPTQを何度か抜けて、本戦で勝てないのは運が悪いせいで、地元ではだいぶ強いほうだって天狗になってたんですよ。でもこの人たちが下手だって言うなら、僕なんかが天狗になったらいかんなと思いました。

――そのまま広島にいたら、井の中の蛙で「俺つえー」状態だったかもしれない。

津村:そうですね。楽しんでなんぼってのと、驕らないっていうのは、大阪に行って大きく変わったことですね。



●最後通告

――中学校には行かなくなりましたが、高校には進んだんですか?

津村:高校も3日で行かなくなりました。そのころから毎日マジックがしたくてしたくてしょうがなかったというのもあります。

――でもそれって、親御さんからしたら、学校へ行かずに得体のしれないカードゲームばっかりやってると思いますよね。

津村:そうですね。当時、父さんが単身赴任だったんで、父さんが帰ってくる週末はいつも戦争でした。当時学校に行ってないっていうのは、今よりもずっと世間体が悪かったんですよね。家族には、肩身が狭い思いをさせて、ほんと迷惑かけたなと思ってます。

――そういうのもあって、「もう最後にしなさい」と言われたのがこのころですか?

津村:日本選手権、世界選手権と出て、次のプロツアー・コロンバスが最後って言われたんです。
ただ理由はどっちかというと、お金の問題ですね。一応バイトはしてましたけど、プロツアーの旅費とかはずっと親が出してくれてたんです。当時はPTQで勝っても5万円しかもらえなかったし。
親としては、ひきこもってた息子が外で楽しげにやってるならって、僕が大学に行くために貯めてたお金でプロツアーに行かしてくれてたんです。でもいくらなんでもそろそろってことで。



●モリカツのおかげ

2005年世界選手権
優勝した森勝洋を祝福する津村
――最後と言われたそのプロツアーは、モリカツ(森勝洋)にもらったデッキで勝てたんですよね。

津村:プレイヤーがへっぽこだったんで、賞金でギリギリ旅費をペイできたくらいですけど、デッキは歴代でも最強クラスでしたね。

――もともと、モリカツのファンだったって話ですよね。

津村:かっちん(森勝洋)は昔から雑誌やカバレージにやたら出てきてたんですよ。ちょっと変わったデッキで、プレイングがめちゃ早くて、結果も残してて、「かっけぇなぁ」と思って。

――当時、すごく若いプレイヤーというイメージでしたし。

津村:僕が中学の時に「高校最強」って感じだったんで、僕もああなれたらいいなと思ってプレイングめっちゃ早くしてて、相手のスペルが来る前にカウンターを先出しするっていうのをやったら、ジャッジに怒られました(笑)

――それはやりすぎですね(笑)

津村:でもそれがあとですごい役に立ったなと。「伝説の3分間」っていう、2005年のプロツアー・アトランタで残り3分くらいで1本取って最終日に進めたことがあったんですけど、そういう残り数分で勝つっていうのがけっこうあるんですよ。早打ちだったら絶対僕のほうがミスしない自信があります。

――モリカツをリスペクトした成果が発揮されたと。ちなみに最初の出会いが印象的だったとか?

津村:コロンバス前はかっちんとはまだほとんど面識なかったのに、いきなり知らない番号から電話が来て「俺モリカツだけど……」ってすごいテンション低くて、最初は偽物だと思いました。なぜか電話でデッキをすぐ教えてくれたんですけど、理由はいまだに謎のままですね(笑) 本人に聞いても覚えてないと思うし。でもそのおかげで賞金取れて、グレービーにも乗れました(プロツアーに連続で参加する権利を得ること)。

――それで親御さんも納得してくれて、次につながったと。

津村:納得してくれたかは怪しいですけどね。結局は僕が楽しそうにしてたから、好きにやらせてくれてたんだろうなと。ただ日本選手権、コロンバスと連続で賞金をとれたことで、マジックがただの遊びではないというのは伝わったかなと思います。



●上京

――その後、広島勢が解散してしまって東京に練習の場を移すんですね。

津村:ルーキーは学校忙しかったし、みんな仕事を始めてマジックやめてしまって。

――東京に引っ越したんですか?

津村:いや、実家からなかちか亭(中島主税の家)に通ってて、当時コンビニより東京行ってました(笑) VIPかっていうくらい新幹線乗ってました。

――プロツアー・アトランタはチーム戦で、鍛冶友浩さんと齋藤友晴さんとのチーム「One Spin」。


津村:3人合わせればプロポイントで出られるってことで声をかけてもらいました。このプロツアーは人生で一番練習しましたね。

――チームロチェは練習しがいがありますし。

津村:この2人の練習量をなめてましたね。
1日24時間を8時間ごとに3つに区切って、1人が寝てる間に2人が練習して、8時間後に次の1人が寝て1人起きてきて……っていう三交代制を本気で考えてましたからね(笑) さすがにやらなかったんですけど、聞いたときにまじで帰ろうかなって思いました(笑)

――鍛冶さんと友晴さんって、けっこう方向性が違いそうなイメージがありますが……。

津村:けっこう言い合いはしてましたけど、目的は共通してたので。なかちか亭でもそうですが、一番大切なのは目的意識だと思うんです。この2人だったら、「世界一のデッキビルダーになってプロツアーで優勝したい」って目標があったし、なかちか亭のみんなはみんなで「世界一強くなりたい」って思ってた。
ぶっちゃけあれだけの癖のある人たちは、なかちかさんじゃなかったらまとめられなかったと思いますね(笑) 人柄のなせる業です。

――するとなかちかさんにも「津村は俺が育てた」って言う資格がありますね。

津村:もちろんです。今までの人たちみんな、誰が欠けても……最初のほうの人なんかは特に、いなかったら僕は人生そのものをやめてた可能性がありますしね(笑) 総じていい出会いばっかりでした。



●海外の友だち

――2005年は世界各地の大会を回って大量の戦績を挙げ、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(PoY)を獲得しました。



津村:当時はまだ外人ちょっと怖くて……みんな僕の2倍以上ありそうな体格なんで(笑)、でも海外グランプリで困ってたときにゲイブ・ウォールズ(アメリカの強豪プレイヤー)たちが全然言葉通じないのに「なんか手伝ってあげようか」って言ってくれたりして、「めっちゃいいやつやん!」って。

――外見は威圧感あっても、コミュニケーションをこころみたら全然怖くなかったと。

津村:PoYをとった2005年の世界選手権でも、へこんでるときにライバルだったオリ(オリヴィエ・ルーエル、フランスの殿堂プレイヤー)が励ましてくれました。
途中、僕の相手がいかさまでDQ(Disqualification:失格)になったんですよ。考え過ぎですけど、僕が原因で相手がDQになったら、その人はおそらくマジックをやめるじゃないですか。僕はすごくマジックが好きだから、どんな理由であれ、その人がマジックをやめる理由になったら悲しいなって落ち込んでたんです。そしたらオリが、僕ら最後は1点差でPoYを争う仲だったんですけど、「俺が勝ちたいと思ってるのはそんな状態のお前じゃない」って言ってくれて、オリは偉大なプレイヤーなだけでなく偉大な人間だと思いました。僕が逆の立場だったらそんなこと言えないですよ。

――いい話ですね。

グランプリでオリヴィエと「フュージョン」


――さらにPoYをとったあとは、苦手なリミテッドをリッチ・ホーエン(去年のグランプリ京都で優勝したカナダのプレイヤー)に師事して練習したとか。

津村:2006年入ってすぐくらいからリッチと仲良くなって、このカードの点数はどうかとか、「あの時なんでこっちをピックしたのか」とかを教えてもらったりしてたんで、先生って感じですね。
2013年グランプリ京都でのリッチ・ホーエン


――先日のグランプリで見た時、けっこう年上なイメージがあったんですけど。

津村:僕の1個上ですね。

――貫禄があってそうは見えないですね。どういう人なんですか? いい人だってのは伝わってくるんですけど。

津村:すごい気配り上手です。リッチのおかげで、外人15人の中に日本人は僕だけ、みたいな飲み会にも普通に行けてました。
そういやグランプリ京都のプロフィールに「マジックがうまくなりたければ青春を捨てろ」って書いてありましたけど、あの日はリッチの彼女の誕生日だったらしいですよ(笑)

――彼女も投げうっていたと(笑) 優勝できたからよかったですけどね。

津村:夜はずっと彼女とスカイプしてたらしいんで、ほとんど寝てなかったと思います(笑)

――リッチとチームを組んで2007年のグランプリ・アムステルダムグランプリ・マサチューセッツに出場しました。

津村:アムステルダムは残念ながら初日落ちでしたけど、マサチューセッツの方は7位でした。リッチのほうがうまいし、僕双頭巨人戦やったことなかったのに、僕の言った通りにピックもプレイもしてくれたんですよ。双頭巨人戦では初手級の《取り消し》を取ったら?ってリッチが言ったのに、普通のドラフトだったら一周するからと思って僕がスルーしたら、当然帰ってこなかったりとか。

――実戦を通して学ばせてくれようとしたんでしょうか。

津村:でもその辺の大会じゃなくてグランプリですからね。単に優しかったからだと思うんですけど。でも途中からは「さすがにお前下手すぎるから、俺がやるわ」ってなりました(笑) リッチがメインで最初からドラフトしてたらトップ4は固かったんじゃないかなと思うんですけど、決して僕のことを責めたりしなかったですし、優しいナイスガイです。



●もうありえない仲間

――そして、津村君と中村修平さん、齋藤友晴さん、八十岡翔太さんの4人で世界中の大会をめぐる2年間が始まります。



津村:毎週喧嘩してましたね。おもに僕のせいですけど。

――どういう内容で喧嘩になるんですか?

津村:マジックだったら僕は何でもかみついてたんです。仲間だけど、負けられないライバルという意識が強くて。それでも仲がいいから言い合えるっていうか。

――まあ、誰かがトップに君臨して上意下達するのではなく、ぶつかりながらやるほうが成長するとは思います。

津村:そうですね。相手がなんでそう考えてるのか、しっかり言い合って理解したほうがいいです。

――でも、お互いに納得できないこともあるんじゃないですか?

津村:納得はしてなくても、「結果的にこっちのほうがいいと思うけど、そういう考えもあるんだね」とか、相手のいいところを吸収して、次に生かしてたと思います。
あと将来どういうプレイヤーになりたいか話すと、ナック(中村修平)さんだけ僕らと目標が違いすぎるんですよ。それでもよく喧嘩してました。

――そうなんですか。

津村:僕とヤソ(八十岡)さんは「世界一プレイングがうまくて強いプレイヤーになりたい」。友晴さんは「デッキを作るのが世界一うまくなりたい」……自分はプレイングはそんなうまくないけど、デッキが断然強ければ圧倒できるからからって。ナックさんだけ、「ずっと上位にとどまりたい」っていう目標なんです。

――ああ、確かにそうですね。

津村:それはちゃんと有言実行してるんですけど。当時は僕ら毎週毎週大会に出て、世界で一番マジックやってる自信があったわけですよ。「なのに世界一になりたくないのかよ!」って。
マジックにはたくさんの魅力があって、カードのコレクションとか、好きなカードだけでデッキを組んだりだとか、人によっていろんな楽しみ方がありますよね。必ずしも勝つことに重きを置く必要はありませんし、友達に同じ目標を無理やり持たせるのはナンセンスだと思います。でも「この4人なら、目標を共有できるはずだったのに」って。

――「同じゴールを目指してると思ってたのに、何お前ぬるいこと言ってんだ」みたいな感じですか。

津村:人に自分の意見を押し付けるのは嫌いなんですけどね。良くも悪くもあの3人とは距離が近すぎたのかもしれません。今思えば、青春ですね……(笑)

――そういう、マジックがなかったら明らかに出会ってなさそうな4人が、一緒に行動してたわけですね。

津村:あれだけやる気のある人が同時に同じ場所にいたのは奇跡に近いと思います。お互い強く言い合える、あんな真剣に何でも討論できる集まりはもう二度とないでしょうし、貴重な2年間でした。

――何もかもをかけてた時期ですよね。

津村プロツアー・ヴァレンシアに行ったせいで姉ちゃんの結婚式に出られなかったのは今も後悔してます。それを理解してくれる家族でありがたかったとは思いますが。

――でもその時はPoYが取りたくて必死だったんですよね。

津村:プロツアーを1回飛ばしてPoYとれるほど甘くないのはわかってるけど、本当に取りたいなら、大事な用があれば行けるくらい、余裕を持ってポイントを獲得しておくのが、理想ではありました。全然無理でしたけど(笑)

――「結婚式に出たからPoYになれなかった」とは言いたくないですしね。

津村:それを言い訳にしたら家族にも悪いし。それまでの人生で何に対しても途中であきらめてばっかりだったんですけど、マジックだけはそういう言い訳をしたくなかったので。



●契約支払い忘れのこと

――ところで、2007年のグランプリ・モントリオールの時に、相手が《契約》カードの支払いを忘れたら紳士的に指摘してあげたという、有名なエピソードがありますね。

津村:実は今まで一度も言ったことがない話なんですけど、2006年の最初のグランプリで1つ事件があったんです。
PoYをとった直後の海外のグランプリで、相手は小学校か中学校くらいの男の子で、5-1くらいのラインで当たりました。座った瞬間に相手の子の友だちが「おーお前の対戦相手PoYだ! スゲー!」って盛り上がって。
ただこの子のデッキが、何枚かだけ上下がさかさまだったんです。彼は絶対悪気はなかった、フライデーくらいの感覚で適当にやっちゃってたと僕は確信を持って言えるんですけど、でもジャッジを呼んだら裁定がマッチロスで、その子は泣き出してしまって。僕の英語じゃ何も言えなくて……。その子がマジックをやめたら、僕のせいだなと思ったんです。

――相手の子からすれば、あこがれのPoYと対戦できたのに……って。

津村:それがあって、モントリオールの話に続くんですけど、契約忘れを4回中3回指摘してるんですよね。最初の相手だけは、「別に指摘する義務もないし、自己責任だな」と思って何もしなかったんです。でもいざ勝ってみたら、その少年の時に近い気分になって。もし仮に、全部相手の契約死で優勝したって、応援してくれる家族に胸を張って「勝ったぞ」とは言えないなと。こんなことするために来たんじゃない、やるんだったらきっちりマジックで勝負したいと思いました。

――でも、頭ではそう思っていても、自分が負けそうで指摘しなければ勝てるってときなら、言えない人も多いと思うんです。

津村:まあ、負けそうだったら負けでいいかなと。
大礒さんが「対戦相手は常にカイ・ブッディだと思ってやれ」と言ってたんですよね。相手のミスには期待しない。勝負の一部としてブラフをかけるとかはもちろんありますけど、契約死はそういうのを超えてるので。負けそうなところで相手が払い忘れて勝って、賞金やプロポイントが転がり込んだとして、それでいいのかって。他人にも同じようにしろと言うつもりは毛頭ないですけど、僕は少なくとも全然うれしくないですから。
気分が悪くなるような勝ち方はやっぱりしたくないなと思って、あとの3回は指摘しました。



●ひとまず休憩

――2007年を駆け抜けたのち、2008年から急に戦績がなくなりますね。

津村:勉強して大学に入るために、この1年でマジックやめようって決めてたので。プロツアーは回ってましたけど、レベル8の賞金をもらうためだけでした。

――いったんマジックをひと段落させたと。

津村:大学に入ろうとしたのは、大学卒業の資格がないとウィザーズ・オブ・ザ・コーストには就職できないって話があったからなんですけど。
これまでさんざんマジックとそれに携わる人にお世話になったから、とにかく恩返しがしたくて、ウィザーズに入りたいなと。特にトーナメントオーガナイズがしたかったんですよね。

――大会の企画運営やとりまとめの仕事ですね。

津村:そうです。人が増えた今だからこそ、負けた人にもっと優しいシステムを作りたいと思っていて。こないだのグランプリ静岡でのプロレスマジック、あれはほんと最高だったと思いますね。



――観戦勢が楽しめるようなイベントってことですか。

津村:今、日本のグランプリだったら1500人くらいが初日落ちして、サイドイベント以外は暇になっちゃうわけですよ。あの企画だったらマジックをあまり知らなくても楽しいし、知ってたらもっと楽しいし、ああいうお祭りをもっと増やしたいと思いました。賞金とか賞品以外で、みんなが満たされるアイディアがいいなと。

――その当時はウィザーズに入るのが一番いいと思ったので、じゃあ大学行って英語を勉強しようと。

津村:すごい短絡思考ですけどね(笑) 僕、中高全然行ってないから、英語は外国人と喋った経験だけなんですよ。一年は予備校で勉強しましたけど、文法とかまるきりダメで。でも外国語の大学にはなんとか行けました。

――関係代名詞がどうとかいうのはわかんなくても、マジックで意思疎通しようとがんばってればなんとかなる!と。

津村:マジックにはそういう面でもお世話になりましたね。ひきこもりの子が大学行けるくらいには。

――家の中から海外へと羽ばたかせるパワーがありましたね。



●大学時代

――大学生活が2010年から始まって、公式で「スタンダード・アナライズ」を書き始めて。

津村:すごい大変でした。記事のために徹夜しまくって。

――完成度を上げるためにそうなっちゃっただけで、徹夜してやれと言われてたわけではないんですよね?

津村:むしろもっと手を抜いてと言われてました。
でも僕、StarCityGamesChannel Fireballの記事は全部読んでるんですけど、あれだけ海外の記事は充実してるのに、どうして日本語の記事はこんなに少ないんだろうと思って。海外だったら1日で10本以上は載るのに、日本だったらあって1つとかだから。
それと僕は長い記事が好きなんです。電車に10分乗ってても読み切れないくらい読み応えあるのが好きなので、できるだけ長くて内容がしっかりした記事にしたいと思ってました。

――大学時代は、マジックをやりすぎないようにしていたんですか?

津村:大学を4年で卒業するのが一番だったので。1回だけたまたま夏休みだったのでプロツアーに出たんですけど、あとは出ないって決めてました。だから近所に住んでた中村(修平)さんの勧誘が……「来週PTQあるよ、車出すけどどう?」みたいにすごい親切に言ってくれて、逆につらかったですね。

――その中修さんは海外で楽しく食べ歩きしてるし(笑)

津村:もちろん一緒に行きたい気持ちはありましたけどね。
マジックをやめた理由がもう1つあって。僕は早く結婚したいんです。今のところ相手はいないですけど(笑) 一人暮らしならやっていけるけど、結婚するためには収入が足りない。だから普通に就職したくてマジックやめたんです。20歳くらいの時に、親に「そろそろ将来のこともちゃんと考えなさい」って言われて。

――目的がいったん完全に変わったってことですね。ちゃんと思いきってやめられましたか?

津村:いったんやりきったって自負はあったので。記事を始めたのは良くも悪くも予想外で、あんなに一生懸命やると思ってなかったんですが、就職活動のために記事もやめました。



●晴れる屋入社の経緯

――その後、殿堂入りしましたね。

津村:今まではPTQを抜けなきゃいけなかったのが、死ぬまでプロツアーに出放題になる。それは僕の中ではすごく大きくて、そうなるとせっかく選んでもらったのに申し訳ないというか、ウィザーズに入ったら大会に出れなくなるから、もったいないなと思うようになったんです。トーナメントオーガナイズの一番偉いヘレンさんって人に話したら、「殿堂プレイヤーとして大会に出るのは、マジックに対する立派な貢献だと思うよ」って言われて、じゃあ大会にもっと出ようと思い始めました。

――ウィザーズに入るとちょっと裏方になってしまって違っちゃいますよね。
そんなときに、飲みの席で友晴さんから声をかけてもらって入社することになったとか。

津村:そうです。僕の理想としてはマンモス(石井泰介)さんみたいに、普通に仕事して、週末だけ大会に出て死ぬほどマジックするという生活を思い描いてたんですけど、友晴さんに「うちでプロプレイヤー兼従業員としてやってみないか」と声をかけていただいて。


――今後は晴れる屋のスポンサードという形になるんですよね。

津村:そうです。僕からしたら夢のような話でした。収入を理由に一度マジックのプロをあきらめたわけですけど、普通に給料もらいながらプロとして活動できるっていうのは、すごくうれしいことです。

――渡辺雄也さんも以前言ってましたが、こういうスポンサーがついたプロがいるってことをアピールすることで、「かっこいい! 俺もああなりたい」っていう子どもが出てくれば、マジックの未来は明るいと思うんですよね。

津村:実際にそういう手本になる人がいるかどうかは大きいですね。

――殿堂プレイヤーとして大会に出ることで、みんなの目標にもなれますね。もうすぐ始まるプロツアー・『神々の軍勢』では、友晴さんと2人でおそろいのユニフォームを着て出ると聞きましたが。

津村:友晴さんから「今回はあまり期待しないで、次はちゃんとしたの作るから」って言われましたけど(笑)

――プロツアーの準備は順調ですか?

津村:モダンは1000マッチくらいやりました。それくらいやってようやく人並みなんで。
お店から「結果は出なくてもいい」とは言われてますけど、勝てないとお店にも申し訳ないし。

――でも今回だけでなく継続的に出場していくんですよね。

津村:はい。昔みたいな濃い練習環境はないと思うので、ちょっと不安ではあるんですが。

――晴れる屋の中にも実績のあるプレイヤーが顔をそろえてるので大丈夫ですよ。

津村:小室(修)さんとか北山(雅也)さんもいますしね。



●会いに行けるプロ

――4月から社員になるということですが、晴れる屋に来ると津村君に会えるんですか?

津村:まだくわしいことはわかんないんですが、大会はけっこう出ると思います。

――平日の大会とかでも戦えるチャンスがあると。「会いに行けるプロ」として活躍するわけですね。

津村:どっかで聞いたフレーズですね(笑) あと動画や記事もやっていくと思います。動画は見てて面白いし気軽に見てもらいやすいから、いろいろ工夫してやっていきたいですし、僕は読み物が好きなんで、記事も充実させたいです。

――それは楽しみです。

津村:それに、さっきの「負けた人にも楽しめる大会にしたい」っていうのも、今はショップがスポンサーの立場でグランプリに関われるようになってきましたから、今後いろいろできることがあるかなって思ってます。

――そして、いずれはなかちかさんや友晴さんのようにいい伴侶を見つけて……。

津村:ほんとそこですね! 姉ちゃんの子どもを見てる時の親の顔が一番幸せそうだし、早く親孝行もしたいです。僕も子ども好きだし。

――「彼女募集中!」って書いておきましょうか。

津村:書いても来なかったら悲しいからやめてください(笑) あと僕、マジック知らない人がいいんです。

――あ、そうなんですか。

津村:うちでMOやってて「そこはアタックでしょ!」とか後ろから言われたりすると、悲しいです(笑)

――彼女のほうが自分より下手で、教えてあげるくらいならいいんじゃないですか?

津村:いや、それだとスパルタ教育になってやめさせるか別れるかの二択になると思います(笑)

――難しいですね。同じくらいのレベルのすごく強い人でもダメですか? すごく仲がよかったら、毎日喧嘩しまくってもやっていけるのでは。

津村:異性でその関係って成り立つんですかね? 僕、中村さんが女性だったとしてもまったくときめかないですよ(笑)

――あはは(笑)



●今後の目標は

――今後の目標は何ですか?

津村:サッカーや将棋のプロと同じように、マジックのプロプレイヤーが一般的になるのを目指したいです。

――ネットの生中継は、今では10万人見るようになったわけですから、次はCSで、いずれは民放の地上波で放送してほしいですね。

津村:ある程度若い人だったら、マジックはともかくカードゲームそのものを知らない人はまずいないですからね。

――趣味のジャンルとして確立した感がありますね。

津村:あとはジェイスの可愛さとかを伝えるだけですね(笑) マジックをもっともっと広めたいし、このゲームを通じて得た素晴らしい経験を、もっと多くの人に体験してほしい。
マジックの素晴らしさは大会を通じていろんな人と仲良くなれるところだし、海外も含めいろいろなところへ行けるのはマジックの魅力ですよね。

――海外の人と直接仲良くなれるのは、ほかの趣味だとあんまりないですね。

津村:そうです、しかもこんなに英語しゃべれないやつでもいけるんですからね。

――プレイヤーとしての具体的な目標はありますか?

津村:年に1回プロツアーのトップ8に入ることと、できるだけ早くプロツアー優勝したいですね。僕が優勝したら大礒さんもやる気になるんじゃないかと思って……。せっかく一緒に殿堂入りできたんで、いつかまた一緒にプロツアー行ったりしたいです。



●最後に

――最後に、これを読んでいる読者の方にメッセージをお願いします。

津村:マジックを始めてから今まで、本当に多くの方にお世話になってきました。最近だと記事を書いてるときに、皆さんが面白いと言ってくれたおかげで続けられたりもしたので、これからも同じように温かく見守っていただければと思います。

――感想を送っていただけるとうれしいですね。

津村:そうですね。批判的なものであれちゃんと見て、次に生かしたいと思ってます。僕のおかげで移動時間が短く感じられるようになってもらえたらうれしいですね。

――それでは、ありがとうございました。これからもがんばってください!




※編注:記事内の写真は瀬尾個人の撮影にかかるほか、幾つか他サイト様より引用させていただきました。
『Live Coverage of 2005 Pro Tour Atlanta』
http://www.wizards.com/Magic/Magazine/Events.aspx?x=mtgevent/ptatl05ja/welcome#1
『第60回 マジック:ザ・ギャザリング日本語公式Facebookページ!』
http://www.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtg/daily/dm/59