晴れる屋トーナメントセンターに寄せて。

川崎 大輔

川崎 大輔

■0. 馬鹿は誰だったか。

 2009年の世界選手権

 優勝したAndre Coimbraのトップ8進出の決定打となったのは、3日目のエクステンデッドラウンド開幕4連勝だった。この時、Coimbraが使用していたデッキが、齋藤 友晴からシェアされていたHyper Zooだった、というわけで、当時世界選手権の取材をしていた僕は、当然のようにデッキテックについてのインタビューをすることにした。

世界選手権09、プロプレイヤー齋藤。

 すでに当時、海外イベントにはプレイヤーとしてだけでなく、トレーダーとしても参加しており、プレイヤーとしてだけでなく広い視点を持ってマジックに接していた齋藤からは、Hyper Zooのテクニック以外にも示唆に富んだ話を聞くことができたのだが、その中でも特に印象に残っている言葉がある。

齋藤 「昔、渋谷にトーナメントセンターってあったじゃないですか、DCIの。あれを作りたいんですよね、僕は」

 この言葉になんと返したかは覚えていない。おそらく「大丈夫、齋藤さんならきっと出来ますよ」とでも返したのだろうが、それは言うまでもなく社交辞令だった。当時の僕はマジックを仕事にしていたけれども、マジックというコンテンツの持っているポテンシャルを僕はそこまで信じていなかったのでマジック単体での大規模なトーナメントセンターなんてものができるなんて信じることは出来なかったのだ。

齋藤 「無謀、ですかね?」

 これにははっきりと「無謀だろうね」と返した。なぜなら、そう思っていたからだ。

齋藤 「無謀かもしれないですけど、でも、やりたいですよね。マジックをやっている人たちにハッピーを与えたい、なら、いつ行ってもマジックが出来て、マジックをやる仲間が沢山いるところがあるべきじゃないですか。なにより、そんなところがあったらトキメキませんか?」

 「たしかにトキメキはするけれども」と心の中では思ったが、ここで話は打ち切った。その時の僕は、Hyper Zooの話をもっと聞かなければならなかったのだ。

PT名古屋11、カバレージライター若山。

 その世界選手権から、ちょっとして、僕は次の年の世界選手権のカバレージを書いていた。たしか、Round 17だかの高橋 優太とDaniel Grafensteinerとのマッチの後だったと思う。

 そうそうに中村 修平のマッチを取り終わった僕は、当時、カメラスタッフをやっていた若山 史郎とそのマッチを観戦し、そして、高橋のフェアリー愛に感動し、ふたりでそのマッチについて話をしていた。その時、若山は僕にこんなことを言った。

若山 「このマッチだけでもね、こんなにパワーがあるんですよ。川崎さんもわかると思うんですけど、マジックっていうゲームにも、そしてマジックプレイヤーにももっと本当はパワーがあるのに、それが活かしきれていないと僕は思うんです。それが非常にもったいないし、悔しいと思う。わかりますよね」

 たしか、すごく曖昧な返事をしたと思う。僕は、当時の僕がマジックに対してできる全てのことをやっていたつもりだし、その上で足りないなら、それはそんなもんなのだろうと思っていたからだ。だから、適当に「まぁ、そうだね」くらいのことを言ったんじゃないだろうか。だって、僕にはそこまでのパワーはわからなかったから。


 齋藤の発言から4年。若山の発言から3年。

 僕は自分を恥じたい。彼らの言葉を、夢ばかり大きくて、現実を知らない、自信ばかりある若者の戯言だと思って、まじめに耳を傾けなかった自分を恥じたい。彼らほどマジックというゲームを信じることができなかった自分を恥じたいし、ともすれば彼らを馬鹿にしていた自分を恥じたい。

 大馬鹿者は僕の方だったのだ。夢も見ず、行動もしないで、上段から冗談と切り捨てる僕だったのだ。その目の前の馬鹿が揃った時に何を為すかも想像できない馬鹿だったのだ。

 過去の自分を卑下した所でなにも変わらない。彼らに習うなら、僕は僕のできることをやるべきだ。だから、僕は過去に馬鹿にした彼らへの償いの意味も込めて、今度こそ彼らの言葉を、そして彼らのしてきたこととしようとしていることをしっかりと伝える必要がある。



■1. 8脚の椅子から、50席のカードショップへ。

 二人と話をしたのは、旧CARDSHOP晴れる屋から、晴れる屋トーナメントセンターへの引っ越しが行われる日だった。

齋藤 「僕は、自分の目の前にいるマジックを好きな人にハッピーになってもらいたかったんです。それを積み重ねているうちに、それがどんどん増えていってここまで来た。今は、マジックを知ってもらえれば、その人の人生がもっとハッピーなものになるって確信を持っています。だから、もっとマジックを人に広めて、みんなにハッピーになってもらいたい。そのためのトーナメントセンターなんです」

 冒頭で言ったように、齋藤のトーナメントセンターへの話を最初に聞いたのは4年前。その4年間でマジックとの付き合い方は変わったのかもしれないし、使う言葉も変わった。だが、ベースとなっている思いは変わっていない。

 300席のデュエルルーム。

 マジックの専門店、として考えれば桁外れのものだろうし、単純なカードゲームのデュエルルームとしてみても、日本最大だろう。世界で見ても有数の規模に間違いない。

 そして、そこは、ただ300脚の椅子がおいてある場所ではない。

 晴れる屋のトーナメントセンターには、マジックを愛する人達と、そのマジックを愛する想いの積み重ねがあるし、それに甘んじず、さらにマジックを楽しんでもらおうと考えた創意工夫が詰まっている。あと、椅子も300脚ある。マジックをするための椅子が300脚だ。



 その中でも、特別な椅子が4脚ある。

 それが、トーナメントセンターの中央に設置されたフィーチャーエリアの椅子だ。

 ビデオ中継用の設備まで完備されたこの席。言うまでもなく、フィーチャーリングはトーナメントの花型なのだから、この椅子が特別なものであるのは間違いない。プレイヤーにとっては。

 だが、この椅子は、齋藤にとっても特別なものなのだ。

齋藤 「フィーチャーエリアの椅子だけ他の椅子と違うんですよ。この椅子は、はるるーむの時に使っていた椅子と同じ椅子を用意したんです」

 この齋藤の言葉を理解するためには、CARDSHOP晴れる屋の歴史を見て行く必要がある。


 そもそも、僕がマジックの観戦記事を書き始めたのは2005年なので、それより前の齋藤については伝聞でしかしらない。

齋藤 「渋谷のトーナメントセンターの思い出話からしていいですかね?僕が最初に渋谷のトーナメントセンターに行ったのは、1999年のThe Finalsなんです」

川崎 「The Finals本戦に参加するために来たのが最初?」

齋藤 「いや、その前日ですね」

 今では齋藤 友晴デビューの場として一般に知られているThe Finals’99。ここで福島の高校生が優勝し、そしてそれが、将来のトッププレイヤーの歴史の始まりとなった、というのは齋藤のみならずThe Finalsのエピソードとしてはよく語られるが、その時の齋藤が権利なしで上京し、前日予選を突破していたことはあまり知られていないと思う。

齋藤 「当時、地元では結構強いプレイヤーになっていた、って言っちゃっていいんですかね?とにかく、自分としては手応えがあるくらい強くなっていたんで、そうなると腕試しがしたくなるじゃないですか。なので、権利は無かったんですけどなんとかなるだろうって東京に来て、そして前日予選に出たんです」

 2004年の日本選手権で、津村 健志が直前予選から準優勝まで駆け上がっていったエピソードはよく知られているが、齋藤もそうだった。無謀な高校生が、夢と志だけを持って自分の腕を信じて東京に来て、そして結果を残した。

齋藤 「で、優勝した時、思ったんです。やっぱマジック楽しいなと。だから、早く上京してきて、今度はDCIトーナメントセンターに通って、もっとマジック強くなろうと」

PTバルセロナ01、齋藤友晴17歳。

 その齋藤の目標が達成されるのには、あまりにも時間がかかりすぎ、そして齋藤の夢が果たされることはなかった。

 齋藤が上京してきたのは、2002年の末頃。そして、2003年初頭に、渋谷のトーナメントセンターは閉鎖してしまったのだ。

齋藤 「ショックではありましたけど、まぁ、ショックだって言っていても別にマジックできるところは他にあるじゃないですか。って思うことにしました。結局、上京してきて正解でしたよ。友人も増えましたし。でも、逆にマジックやる場所が無かったら誰とも出会えてなかったんでしょうね」

 そして、マジックを通して知り合った友人と接するうちに、齋藤はある事に気がつく。

齋藤 「みんな、カードって余るじゃないですか。コモンもそうだし、レアだって自分が使わないカードは余る。もちろん、それをトレードすればいいんだけど、細かくトレードすると決して得じゃないトレードもしないといけないし、国内でトレードしてもトレードのレートはそんなに変わらないじゃないですか」

 海外に行く機会が多く、多くのプレイヤーに接する機会が多くなっていた齋藤。もしかしたら、仲間の分のトレードを自分が取りまとめてやれば、みんなもっと得なトレードをできるようになるんじゃないか。

齋藤 「それがトレーダーを始めたきっかけです。ただ、僕自身がトレードに魅力を感じるようになっていたし、なによりトレード自体がうまく行きすぎてしまった。その結果、僕の友人のカードを集めて彼らに還元しているだけでは、海外のトレーダーをまかないきれなくなったんです」

 海外のトレーダーが要求するだけのカードを持っていくこともできないし、海外から持ってくるカードは友人達の必要以上の量になっていく。トレーダー生活が順調になるにつれて、供給も需要も足らなくなっていってしまった。

 まず、最初に足らなくなったのは居住スペースだ。

齋藤 「もう、家に置ききれないくらいのカードになったんです。だから、引っ越すことにしたんです。基本的に、自分のレベルで出来ることをやることにしているんで、必要に迫られて、やっと引っ越しをしたんですよね」

 この時、齋藤は、本来必要なスペースよりも少し広い部屋を借りた。そして、その余剰のスペースに大きな机を置き、椅子を8脚用意した。

齋藤 「せっかく引っ越すんで、前からみんなが集まれるところを作りたかったから、じゃあ、ついでにいつでも自分ちでドラフトとか調整をできるようにしたんですよ。そのほうが、もっとトキメキがあるかな、って思って」

 「はるるーむ」と呼ばれるようになったこの部屋。古淵にあった中島 主税の家がそうであったように、この家にも多くのマジックプレイヤーが集まった。ここで身につけた技術や知識によって成績を残したプレイヤーが数多くいたことが、当時のカバレージからも散見される。


日本選手権09、若山vs逢坂。

 そして、出入りするプレイヤーの中に、若山がいた。

齋藤 「最初はチンネン(逢坂 有祐)の紹介だったと思います。まぁ、正直、マジックがそんなにうまくないのでたまに、ほんと当たり前のことをアドバイスしたりとかそういう相手でしたね」

 ちなみに、若山も当時の齋藤については

若山 「当然、マジックプレイヤーとしてはすでに超有名プレイヤーだったんでアドバイスは嬉しかったです。でも、マジック以外となると、何言ってるかよくわかんないことばっかりではありましたね、当時は」

 と、あまりお互いを評価していなかったようだ。ただ、若山は言葉を続ける。

若山 「でも、通っているうちに、わかってきたんですよね。話してみて、それでわかったんです。この人は、よくわからないことを言ってるんじゃないって」

 そんな齋藤と若山が本格的に共に活動をするようになるのは、「はるるーむ」に引っ越してからしばらくして、齋藤がネットショップを開始する時だ。

齋藤 「当時、カードを集めてくる力はすごくあったんです。でも、そのカードを捌く力が無かった。で、考えたら、うちに大量にあるカードを、必要としている人に届けられる仕組みを作れば、僕も、カードを手に入れた人もどっちもハッピーだってことになったんです。そのための方法が、ネットショップだったんですよね」

 齋藤がネットショップを開始するにあたって、例えば在庫を入力したりと多くの作業があり、それは当然齋藤一人でまかなえるものではなかった。「はるるーむ」に出入りしていたプレイヤーたちが見に来て、そして協力をした。

 その中の一人が若山だった。

若山 「当時、僕は普通に会社勤めしていたんで、空いた時間で行ったんですけどね。で、カードショップってまったくやったこと無かったんですけど、晴れる屋を見て、すごいポテンシャルのある業種なんだって知ったんです」

 マジック専門のカードショップなんて、うまくいかないだろう。そう考えていた若山を驚かせるだけのポテンシャルがあった。だが、同時にもうひとつのことに若山は気がついた。

若山 「ただ、人手がかかりすぎていた。ボランティアならいいけれど、仕事にできないならそれは続けられない一時的なものにしかならないし、仕事にするにはそれではダメだった。もっと効率的にできるところはいっぱいあった。で、自分が齋藤友晴の力になれるって気がついたんです」

 そう気がついた若山は、すぐ、会社に退職届をだした。

 その若山の行動に、周囲の友人達は苦言を呈した。「やめといた方がいい、後悔するよ」と。マジックだけのネットショップを仕事にすることなんて、実現できるとは誰も思っていなかったのだ。

若山 「でも、僕は大丈夫だと思ってました。マジックっていうコンテンツのパワーを信じてましたし、なにより、齋藤友晴という人間のパワーを信じていたので」

 若山という右腕を得た齋藤は、さらに多くのカードを取り扱うようになっていった。通販の規模も大きくなり、サポートとして人を雇っていくようにもなった。

若山 「僕は自分がトッププロじゃないからこそ、トッププロの人たちのすごさはわかるんです。だから、彼らがマジックと関わりながら仕事できる環境はずっと作りたいと思っていました。だって、トッププロがいないマジックなんてつまらないじゃないですか」

 その若山の考えは、齋藤をサポートしていく中で現実となり、晴れる屋の規模を大きくしていくことで、マジックに関わって仕事ができる人を増やせる目処がついてきた。

 だが、仕事が順調に進んでいることの弊害もあった。

 お忘れかもしれないが、この時、通販の事務所としていたのは「はるるーむ」。齋藤の自室である。そう、またしてもキャパシティをオーバーしてしまったのだ。
「はるるーむ」では、プロツアーの練習会もよく行われた。

齋藤 「当時は大変でした。完全プライベート空間が、自分のベッドしかなくて。朝、みんなが出勤して問い合わせ対応のメールを打つ音で目が覚めるって感じでしたね。そして、若山と相談して、事務所を借りる必要があるということになったんです」

若山 「この頃、例えばプレイド店とか色々と手を伸ばしていた関係もあって、通販の利益で事務所を借りることはできるだろうという目算はありました。ただ、逆に言えば、通販の利益でまかなえない規模の事務所を借りるつもりも無かったんですけどね」

 こうして、齋藤の自室からスタートした晴れる屋はついに専門の事務所を持つこととなった。通販専門の事務所を。

齋藤 「そのつもりだったんですけどね……正直、最初はデュエルスペースを作るつもりはなかったんです。ただ、せっかく場所を借りて、マジックがある場所なんだったら、そこに人が集まった方が、集まれる場所があった方がみんなハッピーだろうって思っちゃったんですよね」

 上京してすぐにトーナメントセンターを失った経験からか、齋藤は、マジックプレイヤーには「場所」が必要だと強く感じている。そして、自分が場所を持つ以上は、それはプレイヤーに開放されるべきだとも。

若山 「それで、最初は16人くらい、よくても32人くらいのデュエルルームかなと思ってて。逆に32人超えちゃうと、通販の利益だけじゃまかなえない広さになっちゃうんですよ」

齋藤 「でも、32って数字、中途半端じゃないですか?どうせなら数字は大台に載せたくなるんですよ。32席って言われるより、50席って言われた方がトキメキがあるじゃないですか」

若山 「仕方ないですよね、トキメキがあったんで。じゃあ、50席でやっていける店舗にしていくしかないですよ」

 こうして、高田馬場にCARDSHOP晴れる屋が作られる事になった。

いつでも笑顔、中島店長。


 「はるるーむ」が手狭となったことが問題となったのが2010年の2月ごろ。10月頃には開店しようというスケジュールだったが、思いのほか、3月に見に行った物件を気に入り、予定よりも早い6月に開店することとなった。

 場所を決めてしまった以上、50席になることは確定してしまい、通販の事務所としてだけではなく、店舗として、デュエルスペースとして運営できるものを作らなければならなくなった。

 最初に求められたのは、人だった。

若山 「店舗をやる上で、必要な人は中島(主税)さんだっていうのは二人ですぐ一致しました。それで、当時中島さんが住んでいた矢部まで二人で行って、口説き落としたんです」

 古淵時代に、あれだけマジックプレイヤーを惹きつける場を作っていた中島こそが、求める店舗を作るのに必要な人材だろう。そう考え、中島へと声をかけた。若山の友人達がそうであったようにマジック専門店を信じきれなかった中島はすぐ快諾する、というわけには行かなかったが、二人の熱意を感じて最終的に二人と合流することとなった。CARDSHOP晴れる屋時代に行ったことがあるプレイヤーなら、その二人の選択は間違いでなかったことがわかると思う。

 次に、場所。

齋藤 「せっかく作るなら、居心地がいい場所にしたかったんです。だから本当はもっと席数を作れたけど、ちゃんと導線を広くとりたかったですし、椅子も背もたれのあるものにしたかった」

 この時、CARDSHOP晴れる屋で使われた椅子は、今もトーナメントセンターの一部で使用されている。

2011.06.24 CARDSHOP晴れる屋、オープン。

 こうして、高田馬場にCARDSHOP晴れる屋がオープンした。

 豊富な在庫、毎日のトーナメント、そして快適なデュエルスペース。

 最初心配されていた50席のデュエルスペースをまかなう運営ができるかなどという心配はよそに、順調に店舗にはプレイヤーが集まり、そして、人が増えていった。

若山 「人が増えて、今度はできることが増えていったんで、どんどん色々なことをやっていったんです。ウェブ買い取りもそうですし、グランプリを店舗主催にするって話があった時も、まっさきに手をあげました」

齋藤 「本来のキャパより大きかったはずの店舗が維持できたのはマジックプレイヤーのおかげなので。だから、それはマジックプレイヤーに還元されるべきだと思ったんです。僕らがやってることって、マジックを愛してるヤツならみんな考える事だと思うんですよ。で、それをできる力をもったんなら、僕らがやるべきなんです。その方が、お互いハッピーですし、トキメキがあるじゃないですか」

 一見順調な店舗運営。だが、ひとつ、大きな問題があった。

若山 「また、場所が、ね」

 グランプリを開催し、店舗への信用が増したことと、ウェブ買い取りを開始したことで、またもカードがスペースを圧迫することとなってしまったのだ。

齋藤 「また、場所を移動しないといけなくなって。最初は、自分のできるだろう範囲からそこまで外れないようにはするんですけど、やれることを積み重ねていくとすぐに手狭になっちゃうんですよね」

 今度は、さらに広い場所へ。その時、齋藤の頭にあったのは「トーナメントセンター」だった。

齋藤 「2011年の納会だったと思うんですけど。その頃は組織も大きくなっていたんですが、そのみんなの前で『トーナメントセンターを作りたい』っていう目標を掲げていたんです。ただ、その時は、『トーナメントセンター』っていう名前の場所を作るつもりでしたけど、ここまで大きいものを作るつもりではなかったんです」

若山 「正直、今(引っ越し前日)に言っても仕方ないですけど、大きすぎる規模なんですよ、僕らにとっても。一応、採算をとる目処はつけてますが、楽観的な要素も入っています」

 何故、彼らはこんなにも大きなトーナメントセンターを作ってしまったのか。

 現在の場所の下見に行った時に、こんな会話がかわされた。

齋藤 「広いね。こんなに広いの?」

若山 「いや、この敷地を仕切って、半分だけ借りる感じになる」

齋藤 「あぁ、なるほどね」

若山 「さすがに広すぎるでしょ」

齋藤 「………」

若山 「そもそも、これ全部借りるのは、今のウチじゃ無理だよ」

齋藤 「これ、全部借りられないかな?」

若山 「今、言ったと思うけど、無理だよ」

齋藤 「でも、こんくらい広いほうが、トキメかない?」

若山 「…………うん、ときめく」




■2. そして、300席のデュエルスペースへ

川崎 「その、トキメキってなんなんですか?」

齋藤 「トキメキはトキメキですけど……強いていうなら『攻め』の姿勢ってことになるんですかね。さっきも言いましたけど、ウチがやろうとしていることって、マジック愛があるやつならみんなやりたいことじゃないですか。だから、それをウチが一番『攻め』てやる。そうすると、マジックが好きなら、まぁ、僕ですけど、テンションが上がる。それがトキメキなんだと思います」

 圧倒的な攻めの姿勢によって、300席となったトーナメントセンター。

 そして、その『攻め』がマジック愛なのであれば、このトーナメントセンターにも、二人とそしてスタッフたちの愛が詰まっている。

齋藤 「トーナメントセンターを作る時に、僕らふたりだけじゃなくて、みんなからもアイディアをもらいました。コムシュー(小室 修)に100個アイディアをださせて見たりとか。その中からいくつか採用されたアイディアもありますよ。例えば、傘を販売するようになったんですよ。今までは別に傘を売る必要は無いと思っていたんですよ。駅が近いので。でも、カードって大事なものなので、少しでも濡れたくないじゃないですか。だから、安く傘を売るってアイディアがあって、それを採用しました」

 店舗では無く、トーナメントセンターであり、それはマジックプレイヤーのための場所であるべき。それは一貫した齋藤のスタンスだ。

マジック雑誌、コミックス、週刊誌。

齋藤 「今回、本棚を置いたんですよね。マジックって、ラウンドとラウンドの合間だったり、意外と待ち時間の多いゲームじゃないですか。だからその時に退屈しないでもらおうと思って。ドラフトを友達と約束して来ても、みんなきっちり集まるわけじゃないんで、待つ人もいますしね。そういう、マジックの合間の時間も楽しんでもらえる場所にしたかったんです」

 同じように、これまで飲み物だけだった自動販売機も、軽食を置くようになった。背もたれのある椅子、に代表されるように、より快適なスペースにしたいという願いがトーナメントスペースの端々から感じられる。

齋藤 「プレイヤーだった経験上、マジックの会場って滞在時間が以上に長いんです。だから、その時間を快適に過ごせる、滞在しやすい環境を作るべきなんです。今までは、スペースの都合で満足出来るだけのスペースを提供できなかったけど、今後はそれができるから、できることを全部やりたい。でもスペースが広がってテーブルが増えてもそれは毎日キレイにしたい。今までできてたことはやり続けます」

 今は、スリーブだって高いですからね、と齋藤は付け加える。

 また、トーナメントセンターのテーブルといえば、薄くラインが引いてあるのが特徴的だ。これも同じく、トーナメント中に全員が平等な広さを使えるようにという配慮だ。

若山 「そういえば、トーナメントプレイヤーと言えば、最初、フィーチャーエリアって無かったんです。作るつもりも無かったですし、予算的にもね。ただ、内装を依頼していたデザイナーさんが、酔ってテンションあがって、フィーチャーエリアの図面を作って送ってきたんです。で、それにトキメキがあったので、作ることにしました」

 そして、そのフィーチャーエリアには、「はるるーむ」時代に使っていた椅子と同じものを用意した。

齋藤 「他にも色々考えて、実現できなかったアイディアもたくさんあるんですけど……でも、今できることは全部やったと思います。胸をはって、快適なデュエルスペースだということができます」

 晴れる屋の規模拡大と並行して毎回問題になる在庫スペース。そこにも当然気は配る。

若山 「通販在庫などの内部スペースの広さだけで、CARDSHOP晴れる屋よりも広いですからね」

齋藤 「あと、いままでは本当に狭かったスタッフルームだけど、今回は十分なスペースも確保できてよかった」

 二人にとって、トーナメントスペースはマジックプレイヤー全てにとって理想的な場所であるべき。そして、それは従業員もそうであるべきなのだ。

ロッカー完備のスタッフルーム。
自分のデッキを置いているスタッフも多いようだ。

齋藤 「今回、鍵付きのロッカールームを作ることができたのは本当に嬉しいことなんですよ。鍵付きのロッカーがあれば、心配しないで自分のデッキを持ってきて、それを店舗においておくことができるじゃないですか。そうすれば、大会にも出れるんです」

若山 「スタッフは大会参加費の社割もありますしね。そうやって、従業員が大会にでて、いつも大会に出ている人がいれば、トーナメントセンターに来る人もよりコミュニケーションをとって、楽しめるようになるじゃないですか」

 Channel FireballでのPaulo Vitor Damo da Rossaのインタビュー記事でも語っていたように、齋藤はマジックでの雇用を100人以上にすることを目標にしている。したがって、マジックと仕事を両立させるために協力的である。

齋藤 「たとえば、アルバイトスタッフがグランプリに行きたいなら、ほぼ休むことができます。今は、グランプリに行かないスタッフも増えているので。これも人が増えて実現できるようになったことですね」

若山 「PTQ(プロツアー予選)でも休めますし、プロツアーの参加権利を持っている人は、最優先で休むことができます。少なくとも、お店の為にプロツアーを休んでもらうってことはないです」

 自社のスタッフがプロツアーで成績を上げれば、それはお店のプロモーションにもなる。そう考えて、ふたりに聞いてみると、口を揃えて「違う」と言った。

齋藤 「プレイヤーとしては勝ってほしいですけど、スタッフとして勝ってこいってのは絶対ないです。自分の会社のスタッフのマジックとの触れ合い方のスタンスを否定してしまったら、僕がマジックの会社を作った意味がないじゃないですか。だから、彼らにはマジックと相性が良い職場を提供するだけなんです」

若山 「そもそも、ウェアプロモーションをやってもらう為の給料なんて彼らには払っていませんからね。そういう時はそういう時で別にお金を払うとして、今はやっていません。僕らは彼らのプレイヤーとしてのネームバリューをかっているんじゃなくて、あくまでも仕事の中身を見て、それで雇っているんです」

 冒頭で若山が言った「マジックプレイヤーのパワー」。若山はそれを信じているから、プレイヤー以外でも彼らのポテンシャルを評価できるのだ。

齋藤 「もちろん、仕事でマジックに触れる時間が増えて、それで勝てるようになって彼らのステータスが上がることはいいことですよね。僕らは仕事をしてもらえてハッピー、彼らはマジックをしながら仕事もできてハッピー」

 それが、ふたりの考えるマジックと仕事の両立の姿なのだ。

 そして、その二人のスタンスは、より広い視点をもって、展開していく。

齋藤 「僕らはトーナメントセンターという場所を持った。だったら、そこは、マジックが好きな人にとってより良い場所であるべきなんです」

若山 「これははっきり言いたいことなんですけど、僕はトーナメントというものがしっかり運営されるマジックというゲームに敬意を持っています。だれでも参加する人がルールや扱いに不安を持たない、それがマジックの理念の凄い所だと思うんです。だから、僕は、そういう場所を作りたいと思いました」
店内注文用PC。晴れる屋ならでは。

 齋藤の、そして、若山のこの思いは、きちんと、そう、きちんとし過ぎているくらいに経営に反映されている。

 マジックでは、ジャッジ資格がきちんと形になっている。そして、彼らは、その資格を持っているものには手当を出すし、スタッフがジャッジ資格をとろうと考えるのならばそれをバックアップする体制をも作ろうとしている。なぜなら、マジックというゲームはジャッジがいて、それによって成立しているゲームなのだから。

 ちょっとここで話を脱線して私見の話になってしまうが。僕は、マジックに関わる仕事をしているしている時に、強く思っていたことがある。それはジャッジが軽んじられているんじゃないかということだ。運が良かっただけかもしれないが、僕が知り合い、接して、話す機会のあったジャッジは誰もが高い理念を持っている人だった。そして、彼らと話す度に、僕は、彼らの高い理念がプレイヤーには伝わっていないし、それが結果に結びついていない事を強く感じていた。僕は、できることをやりたいと思っていたけれども、それを為すことは僕にはできなかった。名前は挙げないが、それでも、僕が知っているジャッジは、誰もが素晴らしい人で、そして、不遇だった。

 この記事で、唯一感情を出すなら、僕はこの話のくだりでこみ上げるものがあった。僕はジャッジではないので、ジャッジをやっている人たちの気持ちは知らないし、例えば僕みたいなカバレージライターとジャッジの間では確執があったのかもしれない。裏方同士ですらそうなのだから、プレイヤーと、矢面にたっているジャッジの間ではもっとそれはあるのかもしれない。そして、僕は、それが嫌だったのだ。僕は、それを変えたいと思っていたけれども、それを変えること僕だけではできなかったのだ。

若山 「僕はマジックにはトーナメントがあるべきだと思う。だったら、ジャッジもスタッフも報われるべきだし、そういう仕組みを誰かが作らなければいけない。それをできるのは、僕らなんです」

 だから、それをやろうと、そしてなし得る人たちに、僕は感動する。

 トーナメントセンターという場所を持ち、そして、ジャッジとプレイヤーの接する場所を増やそうとすること。ジャッジとプレイヤーの関係を敵対ではなく、マジックという、お互い好きなコンテンツの為にいる互いのためのものにすること。この件について、僕はもっと多くの話を二人から聞いて、そして、安堵したのだが、これは私見すぎるので、あまり語るのは野暮というものだろう。これは、僕が、あまりにも語りたくなりすぎる話であり、そして、ここは僕ではなく、二人の話をする場なのだ。

 個人の感情が過ぎたので、話を戻そう。これは僕のトキメキだ。

 彼らは、そんな考えもあって、グランプリの主催を決めたと言う。

齋藤 「もちろん、グランプリ「みたいな」イベントをやりたいという気持ちはありました、ずっと。でも、それがグランプリそのものである必要があるのかはわからなかったんです」

 CARDSHOP晴れる屋が開店した、その頃。ウィザーズのWPNの方針が変わり、そしてそのあと、DCIレーティングのシステムもPWPに変わったことで「店舗に人が来やすい」方針に変わった。それは非常にタイミングの良いもので、その流れが店舗を始めた晴れる屋にとっては大きかった。

 ならば、それに対して、自分たちが返せるものはあるはずだった。

齋藤 「正直、グランプリを主催するってことに対しては、消極的だった部分もあります。でも、その時には、WPNのシステムになったことで、ウチは開催数が日本で一番の店舗になっていたんで、ウチがやらないと誰がやるんだっていう気持ちになりましたし、なにより、若山が『絶対やろう』って言ってきたんですよね」

若山 「最初の店舗主催のグランプリはウチでやりたかったんです。だって、僕らは、マジックのおかげで成長した店舗で、だれかがやるべきなら、それは僕らでありたかったんです」
GP横浜12。日本初のショップ主催のGPとなった。


 そういった、彼らの強い思いで、2012年のグランプリ横浜は開催された。今、日本のグランプリが主催者を立ててやる形になっていることを考えれば、最初に彼らが踏み出した一歩がどれだけ大きいものだったかは理解できるだろう。

齋藤 「まぁ、でも、最初のグランプリは、大変だったよね」

若山 「最初は、何もわからないままやってたからね。でも、最初のグランプリの時に、店舗主催になったからってクオリティが下がったって思われないようにしようってして、それが、わからないけど多分、参加者の皆様にそう思ってもらえただろうっていうだけで、達成感があったよね」

 最初のグランプリは、過去のグランプリと比べて遜色のないものを提供するべきだという、そういう理念で開催された。だが、それは「最初」のグランプリだけだった。

若山 「最初は、本当にわからないままやったので、とにかく、過去のグランプリと比べて悪くなかったようになりたい、ってだけでやりました。でも、2回目の時にはすでに他にグランプリをやる店舗もありましたし、なにより、僕の仕事をバックアップしてくれる信頼出来るスタッフが育っていましたから。だから、僕は、このスタッフとやるグランプリはどこにも負けないものだ、『晴れる屋が主催のグランプリはどこよりもいいね』と言われるグランプリを目指したんです」

 その、2回目のグランプリであるグランプリ横浜2013が非常に満足度の高いものであったのは、記憶にあたらしい所だろう。

 ここまで、齋藤の話を中心に進めてきたが、この長文を読んでもらった方にはわかるだろうが、齋藤のやろうとしていることを実現するためには、若山の力が大きかった。

 そんな中で、若山が齋藤にやりたいと提案し、強行したプロジェクトがある。それが、この記事の掲載されているサイト、happymtgだ。

若山 「マジックって、目の前のゲームだけで終わらないのが、最高に素晴らしいゲームなんです。人とのつながりもそうですし、とにかく、もっと楽しもうと思えばそれに応えてくれるのがマジックなんです。だから、そういうマジックをもっと楽しもうと思う人のためのサイトを作りたい、って思って。ウェブの可能性と、マジックの可能性をちゃんと着地させたい、そう思って、happymtgってサイトを作ろうって思ったんです」

 コラム・デッキサーチ・大会検索。マジックを楽しむために必要そうなものをとにかく貪欲に取り込んでいくコンセプトのサイト、それがhappymtgだ。

若山 「まだ、理想通りのサイトにはなっていないんです。でも、マジックを好きな人のためにはこのサイトを完成させるべきだし、それは僕らしか出来ない仕事なんです。だから、僕はこのサイトを完成させたい」

齋藤 「僕は、ウェブのことは若山よりわからないので、若山がhappymtgでやろうとしていることをすべて理解はできていないです。でも、若山がこれだけ、熱を持ってやろうとしていることなら、それはマジックの為に重要なことだと僕は信じています」

 ここまでの話の記事だけを見れば、二人は協調してやっているように見えるだろう。だが、実際は、齋藤と若山の考えはかなり違う。考えという言葉が適切でなければ、目的のための手段が違う。だが、二人は同じ目標を共有しているから、一緒に仕事をやってくることができたのだ。

 最初は、二人だったが、今は、その目標を共有するスタッフが多くいるのだろう。「マジックは最高のゲームなのだから、そのためにできることをやりたい」というスタッフがいる。

 そして、この、300席を埋める多くのマジックファンも居る。



 今まで、『攻め』た二人だったが、彼らの『攻め』は攻めているのではなく、マジック好きの代弁だった。二人の言うように、マジックにまだまだポテンシャルがあるのなら、このトーナメントセンターが手狭になる日もきっとくるのだろう。



■3. 6倍の軌跡と奇跡

 このインタビューをしてから、2ヶ月。

 ここでは書いていないくらいには、その時は不安まじりだった彼らだったのだが、今、見る限りでは晴れる屋トーナメントセンターは成功し、順調な流れに乗っている。

 今、ではなく、そのトーナメントセンターが始まる前のその時。彼らはすでに先を見ていた。

齋藤 「トーナメントセンター、ってマジックが好きな人が集まる場所じゃないですか。でも、マジックに出逢えば幸せになれるって僕は知っているので、今度は、マジックを知らない人にマジックをもっと知ってほしいんです」

若山 「僕は、マジックが好きで、きっとこのトーナメントセンターに集まってくるだろう人をお客さんもスタッフも信じています。このゲームを好きになるきっかけがあるなら、それはもっと先に素晴らしいものがあるんです。だから、その素晴らしいところにたどり着く手伝いをしたいんです」

 二人の言っていることは、一見違うが、それは同じことの裏表だ。齋藤は、より多くの人にマジックを知って欲しいし、若山はマジックを知った人に、マジックの良さを伝えたいと思っている。

 それは、二人がマジックというコンテンツの強さに疑いがないからだし、その素晴らしさを理解するには、二人の考えのどちらがかけても足りない。

 本当に足りない。二人と話していて実感したのは、一人ではできないことも二人なら、そして力を貸してくれる人がいれば、それは成し得るということだ。

 あまりにも陳腐な話かもしれない。一人ではできないことが二人ならできるというのは、そりゃ当たり前の話なのだから。でも、それをやることは難しい。自分だけでなければ、そこには面倒臭い問題が山積みなのだ。

 でも、彼らは「マジックが好き」という一点でその問題をクリアしてきた。そして、マジックが好きな同士であれば、それがクリアできると信じてきた。その象徴が「トキメキ」に代表される「マジックが好きならこう考えるだろう」という考えであり、そして、だから毎回マジック好きを信じてキャパシティ以上の仕事をしてきた。

晴れる屋社員一同。

 トーナメントセンターは、今後もマジックが好きなプレイヤーとスタッフによって支えられていくだろう。今の成功した彼らを見れば、僕だって、それくらいにはマジックというコンテンツの力を信じることができる。成したものを信じることは簡単なのだ。

 でも、マジックの力が無限だと信じている二人には、僕はかなわない。

川崎 「今回、トーナメントセンターが成功したとして、次はどうするんですか?」

 このおざなりな質問に二人は真剣に応えてくれた。

齋藤 「うーん……2店舗目をつくるかっていう話は難しいですけど……でも、最終的には日本各地にトーナメントセンターがあるようにはしたいんですよね。今は、MOとかもありますけど……でもマジックって直接、人と遊んだほうがもっと楽しいんで。だから、いつでも遊べる場所をどれだけ作れるかですよね……」

若山 「マジックだって、マジックプレイヤーだってまだまだ活かしきれていないところはあるんですよね。だから、もっとマジックが有名になったり、マジックプレイヤーが仕事をできるところを増やしたいです。だって、そうじゃないと、みんなマジックに打ち込めないじゃないですか。そういう環境をつくるべきなのが僕らなんだと思っています」

 もちろん、夢物語だ。でも、僕は過去の反省で、二人の話を真剣に聞いた。そうすると、齋藤が、こういった。

齋藤 「そういえば、川崎さん、気が付きました?最初、8席で、次が約50席。で、今回のトーナメントセンターが300席。場所を移動するたびに6倍になっているんです。だから、次は、1800人が楽しめる場所を作りたい。それが、とりあえずの目標ですよね」

 齋藤も若山も、どちらも癖がある人間だ。二人との付き合いがそれなりにあると自負している僕でも、二人の嫌いなところはいくらでもある。

 でも、僕は、この二人のいうことを信じたいし、自分のマジックが好きな範囲で彼らのことを助けたい。

 それは、彼らが僕よりもマジックが好きで、マジックが好きだった僕のできなかったことを成し遂げてくれる人たちだと、今なら信じることができるからだ。僕の、そして多くの人々が信じきれなかったマジックを信じてくれているのが、この二人なのだ。

 この二人の大馬鹿のやっているトーナメントセンターを、マジックが好きなら、信じて欲しい。





※編注:記事内の画像は、以下のサイトより引用させて頂きました。
『世界選手権2009 ライブカバレージ / Round 2:齋藤 友晴(東京) VS. Luis Scott-Vargas(アメリカ)』
http://archive.mtg-jp.com/eventc/worlds09/article/001447/
『プロツアー・名古屋 イベントカバレージ / Feature: mtg-jp.com ライブカバレージチーム紹介』
http://coverage.mtg-jp.com/PTNagoya11/article/001674/
『2001 Pro Tour Barcelona Coverage / Round 9 Feature Match: 齋藤友晴 VS Bryan Hubble』
https://www.wizards.com/sideboard/article.asp?x=ptbar01%5C831jpfm9
『日本選手権2009 ライブカバレージ / Round 5:逢坂 有祐(北海道) vs 若山 史郎(北海道)』
http://archive.mtg-jp.com/eventc/jpnats09/article/000843/
『放課後まじっく倶楽部 / CARDSHOP晴れる屋(インタビュー編)』
http://www.houkago-magic.jpn.org/hmia/10/07/01_0613.shtml
『グランプリ・横浜 ライブカバレージ / グランプリ・横浜 押し寄せるプレイヤーと会場風景』
http://coverage.mtg-jp.com/gpyok12/article/003422/