6月14日に開催された「モダン神決定戦」。
そこで見事優勝を果たし、「スタンダード神」木原 惇希(新潟)に続いて晴れる屋トーナメントセンターの2人目の「神」の座についたのは、21歳の木原とは対照的に34歳、マジック歴18年という大ベテランだった。
小堺 透雄(神奈川)。
この名前に聞き覚えがなくても、“By Yukio Kozakai”の文字を見たことがあるという方なら大勢いるだろう。
というのも小堺は、2004年、2005年、2008年のそれぞれの日本選手権決勝戦をはじめとして、幾多の名勝負を伝承として紡いできた、歴戦のカバレージライターなのだ。
そんな小堺が、《タルモゴイフ》や《欠片の双子》、《出産の殻》に親和といったデッキが跋扈するモダン環境で相棒として選択したのは、由緒溢れるバーン。
伝統のアーキタイプを携え、歴史の守り人が「神」として、ついに自ら神話となった。
その物語を、知りたくはないだろうか。
戦いの果てに、人が神になる。
その奇跡のような軌跡を追う、神インタビューを、今回もお届けしようと思う。
小堺とマジック:ザ・ギャザリングとの出会い
--「まず小堺さんは非常に長いキャリアをお持ちとのことですが、一体どのエキスパンションあたりからマジックを始められたんでしょうか?」
小堺 「大体『第4版』の日本語版が発売されたあたりですね。当時深夜番組を見ていたら、うろ覚えですけど確か中村(聡)さん(Hatman)と塚本(俊樹)さんだったかな?が対戦してる番組がたまたま目に留まって、何かドラゴンとか出してて『すげー!』って思ったことをよく覚えてます。それですごく気になってたんですけど、その後ある日学校(当時高校生)に行ったら休み時間にカードをシャッフルしている友達がいて、『それ!』ってなって(笑)」
--「なかなか運命的な出会いですね。行きつけのショップとかはあったんでしょうか?」
小堺 「行きつけのショップというか、学校の近くに『ポストホビー』があったので、そこがMTGを取り扱っていて普通に買えたんですけど、今にして考えると『MTGのパックがいつでも売ってる店が近所にある』ってレアケースだったんだなぁと。そうこうしているうちに、『ロータス』が小手指に出来て、そこで同年代や大人のプレイヤーに囲まれて、遊んでいるうちに仲良くなり、車に乗せてもらって大会に出かけるようになって、という感じで。鴨屋さん(若月さん)ともここで出会っているので、その後の埼玉のMTGを考えるとある意味運命の出会いだったかも知れません」
--「その頃ってTRPGブームみたいなのもあったと思うんですが、丁度こういうアナログゲームが流行りだした時期にマジックを始められたということで、友達と一緒に遊べる場があったのは大きいですよね」
小堺 「TRPGは全盛期でしたね。僕はやってなかったんですけど、デュエルスペースでも多くのプレイヤーがTRPGしてました。カードゲームはというと、90年代終盤はいろいろな国産TCGが出てきましたが、やっぱりまずはMTGがTCGの土台にある、という感じでしたね。当時『ヴィジョンズ』のパックは並ばないと買えなくて、人気に対して供給が圧倒的に追い付いてなかったりして。『テンペスト』が一番ひどかったですね、買いたくてしょうがないのにパックがないっていう有様で。そういう流れで1999年、世界選手権が初めて日本(横浜)に来たときは、とてつもない『勢い』みたいなものを感じたのを覚えています。5日間毎日通ってましたね」
--「90年代後半という、日本のマジック界が丁度盛り上がり始めた時期だったんですね。そんな中で小堺さんは、どんな風にマジックをされていたんでしょうか?」
小堺 「始めた頃は、日本語だと『第4版』と『クロニクル』と『ミラージュ』ぐらいしかなかったんです。だからすごく狭いプールで遊んでいて。だけど、ショーケースに並んでいる、全文英語の南極大陸みたいな箱(『ICE AGE』のスターター)が気になって、うっかり買ったものの中身もやっぱり全文英語で全然読めなくて(笑) それでも友達同士で遊んでいるときはレギュレーションとかめちゃくちゃでしたから、『ライバルに差をつけたい!』的な感じで英語の時間に一生懸命辞書を開いて、勉強しているかと思いきやカードの翻訳をしていた、みたいなことは日常茶飯事でしたね」
--「確かに、始めたての頃は絶対レギュレーションとかないですからね(笑)」
小堺 「それでそのうちだんだんMTG楽しすぎて布教活動がしたくなって、学校の近くの中古ゲームショップのオーナーにMTGを紹介したらハマってくれて、そこでバイトしながら小中学生とかにMTG教えつつ、仕事帰りの社会人も一緒になって遊んだりしてました。スタンダードを覚えてからは、大会は当時地元所沢で定期開催していた『方舟杯』、川越での『川越杯』、立川の『ロータス杯』や、『八王子マジック杯』に良く参加していましたね」
--「八王子杯ってありましたね、懐かしい。そういったいわゆる草の根マジックから、競技マジックに目覚めたきっかけは何だったんですか?」
小堺 「ある日思い立って、当時渋谷にあったDCIトーナメントセンターの休日大会に行ったんです。本に出ているような有名プレイヤーが集まる空間と聞いて興味が湧いてきて。一応、当時『地元じゃ負け知らず』みたいなデッキを持ち込んだつもりだったのが、もう見るも無残にケチョンケチョンにされて、このままじゃいけない!みたいになって(笑)」
--「当時はやはりDCIの存在が大きかったんですね」
小堺 「そうですね。その後、腕を磨き直して挑んだ『The Finals 98』予選を突破して、そこで初めて『全国レベルで通用するかも』と自信を掴んだのが今に至るまでの始まりでしょうかね。ちなみにMoMaは使ってません(笑) 予選は神決定戦と同じ、赤バーン(スライ)でした」
--「MoMaの時代に赤バーンとはまた剛毅な……(笑)」
小堺 「ですが一番大きかったのは、MTGを始めた当時に同学年の石田格さんが世界を相手に活躍していた姿ですね。 『なんかよくわからないけど《生命吸収》打って活躍したらしい!』『本当か! 《生命吸収》打てばいいのか!』『そうじゃないだろうけど、同学年なら俺達にも出来るかもしれない!』 的な感じで、放課後の教室で盛り上がっていたのを覚えています。おこがましい話ですけど……」
--「その頃の友達とは、今でもマジックをプレイされたりしますか?」
小堺 「本当に始めた頃からの友人は、みんな引退してしまいましたね。大会に参加するようになってから知り合った面々だと、今も時々大会に顔を出すメンバーもいるんですが……」
公式カバレージライターという経験、そして
--「そんな小堺さんですが、ネットの発展とともに『Peak Magic』をはじめとしてマジックのテキスト文化の気運が高まっていく中で、段々とプレイヤーではなくライターとしてマジックに関わり始めるわけですよね」
小堺 「そうですね。Peakは2002年だったんですけど、2年間勤めていたカードショップを退職した直後で暇してまして(笑) もともと前のショップにいたときに、MTGに関しての記事というか、在職当時に2年連続で日本選手権予選を通過していたので、調子に乗って店にコラムを掲示してたんです。で、書く機会が失われてたぎっていたところで、みやけん(宮坂 健)さんがいい企画を始めて下さって」
--「あれは良い企画でしたね。今から考えると、ネットでマジックについて自らテキストを書き、意見を表明するということに対する心理的な抵抗が大分和らいだんじゃないですかね」
小堺 「僕の場合も、それまで一方的に『読むもの』だった記事が、『創るもの』に変わっていく感覚がありました。日記作成やHP作成ソフトが普及して、個人レベルで情報を発信できるようになり、僕自身も個人のMTGサイトを立ち上げていた時期がありました(現在は閉鎖)。それから、今でもMTGプレイヤーが多く書き綴っているdiarynoteの存在が大きかったと思います。オフィシャル側が、『記事を書くライターを募集する』スタイルから『在野の原石(書けるライター)を探す』流れに変わっていったのも、この頃からだと思います」
--「なるほど。公式カバレージで書くようになったきっかけは何だったんでしょうか?」
小堺 「公式デビューのきっかけは、森 慶太氏に指令を受けた中島(主税)さんからの1本の電話です(笑) 実際、みやけんさんから推薦して頂いて、関東専属のライターで……というお話を頂いていたのですが、プレイヤーとしての活動に大きく制限がかかるのを当時は受け入れられなくて、保留させて頂いていて。結局こうなるなら、早くやっておけば良かったかなと(笑) ただ、(Peakmagicのように)いくらでも時間をかけられる1本物の記事を書くのと、現場でノートPC片手にスピード勝負も必要なカバレージライターをするのでは勝手が違うので、実地試験が設けられました。それが、LoM(Lord of Magic Championships)2002だったんです」
--「LoMとはまた懐かしいですね。ではそれがデビューだったと」
小堺 「非公式ではありますが、カバレージライターとしてのスタートはそこからでしたね。公式は、The Finals2002がデビューです。あの時は、神決定戦で記事を書いて頂いた平林(和哉)さんも一緒だったと思います」
--「こうしてみると、ライターになるまでにかなり色々あったんですね」
小堺 「実は結構長いステップを踏んでライターになっているんです(笑) 余談ですが、前出の『方舟杯』『川越杯』などの埼玉で開催されていた個人主催の大会が軒並み終了してしまって埼玉MTG衰退の危機を感じて、鴨屋さんと『龍王戦』を立ち上げた経緯がありまして。ここでもカバレージを書いていました。定期開催している個人主催の大会では、初の公式ライターによる完全カバレージ付き大会だったのではと思います。そこでの修行(?)を経て、プレミアイベントデビューとして、津村さんが準優勝した日本選手権2004を迎えました」
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小堺 「当時は、(森)慶太さん、松井(健治)さん、藤枝(勇)さんと僕ですね。それからほどなくして、吉川(祐輔)さん川崎(大輔)さんとの『三羽烏体制』(命名:森 慶太氏)でしばらくやっていました。皆さん、非常にハイレベルでストイックに仕事をされるので、刺激を受けつつ楽しくやっていたのを思い出します」
--「日本のカバレージを物語として紡ぎ続けてきた、いわば黄金体制ですよね。ちなみに今までで何かお気に入りのカバレージってありますか?小堺さんの自身のものでも、他の人のでも構いませんが」
小堺 「自分のだと、記事の内容とかは『自画自賛!』みたいのは無いんですが、シチュエーションだと間違いなくプロツアーの決勝ラウンドですね。昔、グランプリ静岡2008でフィーチャー呼ばれて川崎さんに記事を書いてもらったときに、『ほかのライターを押しのけて記事を書いた』と紹介して頂いた、プロツアー横浜2007の準決勝、三田村和弥 vs. 齋藤友晴 戦の記事ですかね。今ではほとんど見られなくなった、日本人同士のPTプレイオフのマッチアップ。しかも、舞台は日本。みたむーと友晴君の、緊張感の中での絶妙なかけ合いがとても印象的でした。他の人のだと、プロツアー神戸2004の決勝、『火の玉をあなたに。』吉川さん黒田さん最高です」
--「何度読み返しても色褪せない、どちらもまさしく名記事ですね」
小堺 「あとは自分の記事なんですけど、今でも深くMTGプレイヤーに親しまれている『ちくなん』『Round 0』等の数々のフレーズは、実は僕が拾って書いていました、ということを、面白いので今一度アピールしておこうかと思いました(笑) と同時に、一番すごいのは、プレミアイベントの決勝ラウンドみたいな特殊な状況で、そういうウィットに富んだことを言えるプレイヤーなのだな、と思った瞬間でもありました」
--「あとは小堺さんといえば、知る人ぞ知るMTG同人誌の編集長としても活躍されていたとか」
小堺 「ネットに押され気味な『紙媒体でのMTG』を伝える本格的な機会が欲しいと思って、専門学校時代の友人(絵師)に協力をお願いして、作ったのが、MTG同人誌『じらいげん』でした。最新情報やデッキレシピはネットで見ればいい時代になったので、ならば、紙である意味を持たせよう。時事は関係なく、何度も読みたくなる、ずっと使える何かを、魅力あるライター陣に思いの丈ぶつけていただきましょう! 的な、熱い思いで始めた本です」
--「小堺さんの人徳あればこそでしょうが、今読むとマジック的に色んな有名人が寄稿してて、結構奇跡の本ですよね」
小堺 「当時はまだ若かったので、いろいろ動いたり始めたりするエネルギーがあったということでしょうね(笑)
今ではMTG業界をガッチリ支えて下さっている豪華な面々が、当時の思いを熱く書き綴って下さっているので、ぜひ一度お手に取って頂ければと(晴れる屋TCの本棚に全巻あります)。そういえば今年で創刊10周年なんですが、何かした方がいいですかね(^^;」
「Black Out」ができるまで
--「さてじゃあ昔話はこれくらいにして、現代に話を移すと、今の小堺さんはマジックとどんな風に付き合ってらっしゃるんでしょうか?」
小堺 「もはや生活の一部という立ち位置です。もともと旅行や温泉が好きなので、PTQやGPでの遠征もその延長線上で。年齢が増して休暇と収入が増えるに従い、だんだん遠征が派手になっているのは否めないです(笑)」
--「今回の『モダン神決定戦』に出場した経緯は、どのようなものだったんでしょうか」
小堺 「もともとは横浜から所沢の実家に帰る途中だったんですよね。6月15日が父の日で、父の誕生日がそれに近いというのもあって。ですから、PTQの練習がてらに『サクッと負けたらすぐ帰ろう』と思って軽い気持ちで出場しました」
--「それほど神になる気マンマンというわけではなかったと。ではどうしてバーンというデッキを選択されたんですか?」
小堺 「PTQは5月31日までリミテッドシーズンでしたからね。6月1日から『はいモダンで』と言われてもデッキがなくて、とりあえずネットで調べたら、モダンは《出産の殻》、BG、《欠片の双子》、親和の4強と、それに続いてバーンもいいかもね、みたいな記事があって。以前エクステンデッドでバーンを使っていた経験もあり、節目節目でバーンを握りしめてることが多いので、久しぶりに使ってみるかと思って、その記事に載ってた赤白黒3色のバーンを前週のPTQ川崎で使ってみたんです。そしたら思いのほかこれが強くて」
--「バーンというデッキが気に入ったと」
小堺 「そうですね。比較的有利なBG系のデッキが多いというのは追い風でしたし、何よりデッキの構成が不完全にも関わらず、当たる対戦相手がみんな『うわ、バーンか~』という感じで嫌がっていて、じゃあ強いんだってなって。ただ同時に課題もあって、実戦ゼロで持っていったら土地1しか引かなくて『土地は増やそう』って思ったり、あとは1回、バーンなのに《血染めの月》を置かれて負けすらして(笑)」
--「それで色を減らそうという決断に至ったわけですね。ですがどうして白ではなく黒を抜いたんでしょうか?」
小堺 「白の方がサイドが強くなるんですよね。不利なパターンは親和やトロンのぶん回りや《欠片の双子》くらいで、それらに強くしようと思ったら、自然と黒が抜けました。《夜の衝突》と《ラクドスの魔除け》は確かに強いですが、代わりが見つかれば抜いてもいいだろう、と」
2 《山》 1 《平地》 4 《聖なる鋳造所》 4 《乾燥台地》 4 《沸騰する小湖》 3 《湿地の干潟》 1 《戦場の鍛冶場》 -土地(19)- 4 《ゴブリンの先達》 4 《渋面の溶岩使い》 4 《苛立たしい小悪魔》 1 《大歓楽の幻霊》 -クリーチャー(13)- |
4 《溶岩の撃ち込み》 4 《稲妻》 4 《欠片の飛来》 2 《二股の稲妻》 4 《頭蓋割り》 4 《ボロスの魔除け》 2 《稲妻のらせん》 4 《裂け目の稲妻》 -呪文(28)- |
4 《溶鉄の雨》 3 《焼却》 2 《摩耗/Wear》 2 《稲妻のらせん》 2 《石のような静寂》 2 《倦怠の宝珠》 -サイドボード(15)- |
--「『モダン神決定戦』でもバーンを使うことは確定だったんですね」
小堺 「時間も経験値も足りない社会人が使うには、使い慣れたデッキが一番と思ってバーンを選択しました」
--「このデッキでよく調整された部分はどんなところでしょうか?」
小堺 「メインに《二股の稲妻》を入れた部分ですね。PTQ川崎の段階ではサイドだったのですが、親和に2回当たったときにジャストミートして、強さを実感したのでメインに移しました。それにこのデッキ、バーンの割に意外とクリーチャーに撃てる火力が少なくて、特に先手1ターン目で《貴族の教主》とか出されたときに撃てるのが《稲妻》だけなんですよね。それを撃つのかと言われると撃ちたくない。けど《二股の稲妻》なら気楽に撃てます」
--「1枚だけ入っている《大歓楽の幻霊》は、どういった趣旨なのでしょうか?」
小堺 「1枚だけ入れる分には、2ターン目に出しても強いしあとから蓋をしても割と働くしということで採用しています」
--「《欠片の飛来》が4枚入っているのはちょっと多いようにも感じるのですが……」
小堺 「<火炎破>です(キリッ
……まあ真面目な話、昔からの経験で火力が1マナか2マナかというのはキルターンに関わる死活問題だとわかっているので、できるだけコストが安いカードで固めたかったんですよね。それに《渋面の溶岩使い》との相性も良いですし」
小堺、神に挑む
--「デッキ調整は真面目にしつつも、基本的には里帰りのついでのつもりで出たら、ところが意外に勝ててしまったと」
小堺 「スイスラウンドから3ターンキルとか4ターンキルを連発して。6回戦のフィーチャーマッチも、《欠片の双子》相手に3キルしたりで、あれよあれよと6連勝してしまって、『あ、今日は帰れないかも』って思いました(笑)」
--「その割に、予選ラウンドはギリギリの8位通過でしたね」
小堺 「最終戦時点で7-1で、もちろんトップ8に残ったら最後までやるつもりだったけれども、どちらかといえば帰りたかったので、割と不利なIDを了承したんですよね。で結果待ちの間にとりあえず実家用のお酒だけ買いに行って(笑) さあ帰る準備万端、というところで、自分より下の順位の『勝ったらトップ8』な人たちが全員負けて、8位に滑り込んじゃって、じゃあやるしかないなと」
--「準々決勝の握手写真が何だか腕相撲みたいになってるんですが、これは何をどうやったらこうなったんでしょうか」
小堺 「ちょっと高めに手を差し出しちゃって、そしたら大根田さんも似たような感じで、どちらからともなくあのポーズになりましたね。でもそのおかげで、準決勝と決勝では同じようにしたら相手の顔がちょっと引きつってて、『よし、自分のペースに持ち込めたぞ!』と思いました(笑)」
--「特に印象に残ったマッチはありますか?」
小堺 「決勝ラウンドは全部ですね。特に準々決勝と決勝はトップデッキで勝った、本当に紙一重のゲームだったので」
--「勝因は何だったと思いますか?」
小堺 「実家に帰る途中で通りがかって神になった身で、大仰なことは言えないですね。《通行の神、エイスリオス》みたいなもんですよ。しかも実は僕、当日まで『神が防衛戦したら5万円もらえる』ってことすら知らなくて。ですからまあ、無欲と親孝行が招いた結果ということで」
--「実際どうですか?神になってみて」
小堺 「twitterで祝福のコメントがいっぱいもらえてありがたかったです。あと、ニコニコ生放送を見て僕が決勝に残ってるって知った昔の知り合いが晴れる屋まで駆けつけてくれて、『あぁ、みんなマジックをやめても意外とマジックのこと気にしてくれてるんだなぁ』って思って嬉しくなりました」
--「改めて、優勝および第1期『モダン神』就任おめでとうございます」
小堺 「ありがとうございます!」
モダン神、小堺透雄のこれから
--「日本マジック黎明の時代よりマジックを様々な形で支え続けてきた小堺さんですが、この度ついに『神』になられたということで、マジック的にはこれからの目標は何でしょうか?」
小堺 「まずは、神の座を防衛で。あとは、今年は調子が良いので久々にプロツアーに出て勝ちたいですね。プレイヤー復帰したくてライターを退いた以上は、結果がついてきてほしいですね」
--「『レガシー神決定戦』には出場されますか?」
小堺 「たぶん出ます。こうなった以上はやはり2神を目指したいので。『レガシーのバーンはどんなんだ?』って、今必死にレガシーのカードを集めてます」
--「是非頑張ってください。それでは最後に、何か一言あれば」
小堺 「そうですね……何でも長くやってると良いことがあるんだなぁ、ということで」
明日、ついに最後の神が決まる。
「レガシー神」の称号を獲得するのは、一体どんなプレイヤーか。
※編注:記事内の画像は、以下のサイトより引用させて頂きました。
『Live Coverage of Japan National Championship 2006』
http://archive.wizards.com/Magic/Magazine/Events.aspx?x=mtgevent/jpnat06/welcome