あなたの隣のプレインズウォーカー ~第90回 標の上のラル・ザレック~

若月 繭子

はじめに

こんにちは、若月です。

灯争大戦の続編小説「War of the Spark: Forsaken」にて、色々な展開がありました。ですがこれをきちんと取り上げる前に、触れておきたいプレインズウォーカーがいます。

嵐の伝導者、ラル

そう、ラル・ザレック。『灯争大戦』のメインキャラクターとして活躍していた一方、秋頃まで配信されていた前日談「The Gathering Storm」にて多くの設定や過去が判明しました。そのためこちらを先に解説しないことにはForsaken回で不具合が起こりそうなんですよ。それにまだ日本ではほとんど知られていない内容ですので、是非書いておきたいなと。けど大丈夫?もう2019年も終わるよ?年明けたら『テーロス還魂記』来ちゃうよ間に合うの?私も知らないです!でも書きます!!

1. ラルの過去

ラルは2013年、『ドラゴンの迷路』からの登場になります。初の青赤プレインズウォーカーであり、見た目の通りイゼット団所属。トーナメント的な実績はそれほど多くありませんが、ビシっと決めた隙のない外見と稲妻使いという能力の格好良さ、そして実力者の誇りに満ちながらも時折見せる苦労や共感からキャラクター人気はとても高いと思います。私も登場当初から大好きです。

ラル・ザレック

このポーズが何なのかは未だに謎ですが。物語での出番は多いながら、これまでラルの過去についての情報はわずかでした。ラヴニカ生まれラヴニカ育ち、心からイゼット団を愛している。二ヴ=ミゼットについては、プレインズウォーカーではなく多元宇宙の存在も知らない(とラルは当時思っていた)ために優越感を抱きながらも一方で自分を認めてもらいたい……というくらいだったでしょうか。

公式記事「電光虫プロジェクト」(掲載:2015年5月)より引用

ラルは地下道の苔むした壁に手を走らせた。

「ベレレン、俺がどうやってイゼットの一員になったか知ってるか?俺が今所属する場所を見い出すために、何を経験したかを知ってるか?俺はちっぽけな地区で育った。ちっぽけな奴らばっかりのな。そいつらは俺の嵐の魔術を応援してくれたと思うか?そんなわけなかった。誰もが『雨魔道士』を嫌がった」

ラルは唐突に、前腕の手甲の紐を引いた。

「俺は素早く学んだよ、自分の秘密を守ることを。俺は自分の力で第十地区に来て、話し方を覚えて、地区を覚えた――どこに行けばメシが食えるか、どこで寝るのは危ないか。俺は全ギルドの歴史を勉強した、何もかもをすっかりな。俺はイゼットを見出し、その全てを学んだ――ギルドに入って働くために、ニヴ=ミゼット自身の方程式に基礎をおく嵐の魔術を。俺の人生で一番幸せだった日は、イゼット団に入り、ギルド魔道士になれた日だ」

そうかラルも昔は苦労したんだな……というのがなんとなくわかるこれが『戦乱のゼンディカー』前の記事、もう4年以上前になります。まだゲートウォッチ結成以前のエピソードです……思えば遠くまで来てしまいましたね。と、それでは前日談で判明したラルの過去を語っていきましょう。

■ボーラスとの出会い

ラルはラヴニカ第十管区でも貧しい地域に生まれ育ちました。母は縫製工場で働いていましたが、ラルが11歳の時に事故に遭い、そのまま完治することなく2年後に死亡してしまいます。間もなくして、13歳のラルは酒浸りの父を見捨てて家を飛び出しました。

それから4年が経ち、17歳のラルは何とか自活していました。寝泊りする家と仕事らしきもの、そして初めて恋人を得たのもこの頃で、1つ年上の詩人の青年Elias(エリアス?)と同居していました。そして当時のラルは一つの魔法を使うことができました。雨を降らせるというものです。ある夏の暑い日、彼はオルゾフの伯爵家へと向かいました。その魔法で、庭の水撒きをするためです。伯爵の使用人たちは洗練されない装いのラルを疎ましい目で見ましたが、彼はただ仕事をこなすだけでした。

「The Gathering Storm」チャプター3より訳

雨魔道士。子供の頃、街路でそう嘲られた。彼には魔法の才能があった。けれど炎や精神魔法や治癒魔法といった真に有用なものではなかった。ただ……雨を降らせるだけ。雨を降らせてどうする?

頭上で小さな雷鳴が響いて、庭園の植物へと大粒の雨が落ちてきた。ラルとその周囲を丁寧に除いて、干上がった土は水を吸い込んだ。

雨の使い方。10歳の時にこれはできなかった。この場所だけに雨を降らせる。伯爵や近隣住人は客人をずぶ濡れにされるのを喜ばない。このコントロールを身に着けるために数年を要したが、それで重宝されているわけではなかった。

ですが粗末な昼食と賃金を貰って帰ろうという時、ラルは伯爵の長男に呼び止められました。絹の帽子を雨で台無しにされたというのです。弁償しろと言われますが払えるわけもなく、ラルは酷く痛めつけられてしまいました。やがて満身創痍でようやく解放された彼に、不意に見知らぬ手が差し伸べられました。見たところ人間の壮年男性、その人物は治癒魔法でラルの傷を癒し、顔に付いた血を拭くためのハンカチーフを手渡しました。親切な人物、とはいえラルはその恩を返せるような金も何もありません。すると……

同チャプターより訳

「構わないよ」ようやくラルはその男をはっきりと見ることができた。長身で整った顔立ちの、壮年男性。白髪混じりの弁髪。隙のない完璧な装い、だがそれはどこか異質なものに思えた。「私からの申し出を検討することで報いてくれると思っている。君には見込みがありそうだ」

「待て、俺をどうするつもりだ?」

「実のところ、君を見ていた」 その見知らぬ男は首をかしげた。「追加の仕事を受ける余地はあるかね?」

ラルは頷いた。

「さらに言えば、君は上流階級の利益に反するような仕事を行うのは気にしない方かね? 例えばあの伯爵と愉快な息子のような」

ラルはその男の回りくどい言い方を理解し、思わず笑った。

「ああ、全然気になんてしない」

「よろしい。では色々と話し合おうか」

その男は手を差し出し、ラルはそれを握った。

「ラル・ザレックだ」

「ボーラス」 見知らぬその男は答え、にやりとした。その笑みは真っ白な、わずかに尖った歯を覗かせた。「ニコル・ボーラス」

プレインズウォーカー、ニコル・ボーラス

……おう。ボーラス様、シェイプシフター設定あるけれどそれを活用している描写は多くないんですよね。『破滅の刻』にて明かされたラルとボーラスの繋がり、その起点はこのような出会いでした。

■プレインズウォーカーとしての覚醒

それから3年、ラルはその謎めいた紳士のために働き続けました。ボーラス本人が有力な家の者なのか、それともただそういった者のために働いているのかはわかりません。けれどラルの仕事は主に、雇い主が敵対する家の手下とやり合うというものでした。そしてその中でラルは稲妻を生み出して武器として用いることを学びました。かつて自分を「雨魔道士」と蔑んだような相手をぶちのめすのは楽しいものでした。

ですが、そういった仕事ばかりではありません。時に彼は恋人に言えないような不快な仕事も受けざるを得ませんでした。全てはエリアスのために、自分たちの生活のために、と自らに言い聞かせて。

ある日彼は、かつて住んでいたような貧しい界隈のアパートへ向かいました。そしてそこに住む、見るからに日々の生活で精一杯であろうその女性に要件を告げます。今月の取り立てに来た、払わなければ雇い主は気分を害するだろうと。ですが威迫のために手に稲妻をまとわせたラルをめがけて、隣の部屋から一人の男の子が飛び出してきました。そして母を守ろうとラルの脇腹にナイフを突き立てたのです。痛みにひるみ、思わずラルは稲妻の手でその子を払いのけました。その子は激しく感電し、壁に叩きつけられて倒れ、母親は悲鳴を上げました。

ラルは苦痛をこらえて脇腹からナイフを抜き、その子のところへ向かいました。ボーラスの仕事で誰かを殺したことはなく、また通常その電撃は致命的なものではありません。泣き叫びながらラルを拳で殴りつけるその母親を無視し、彼は男の子の身体から電気を吸収して事なきを得ました。とはいえ子供に危害を加えてしまった後ろめたさに、ラルは取り立てを行わずそのまま立ち去りました。

血が止まらない中、ラルは苦労して自宅へ帰り着きました。ですが、部屋に入って目撃した光景に彼は愕然とします。暖炉の傍に立つエリアスが、知らない男と身体を絡ませていました。

「The Gathering Storm」チャプター8より訳

ラルは何か声を発したに違いなかった。エリアスは身を強張らせ、相手の男を押しのけた。

「ラル!」

「お前……」ラルは戸口に立ったまま、よろめいた。「お前は……」

全部、お前のためだったのに。お前のために何だってしてきたのに。あの母親の懇願。引きつったあの男の子の四肢。お前のために魂を売ったのに。

「俺……」エリアスは涙目でかぶりを振った。「俺にどうしろと? 俺は……寂しかったのに、お前はいてくれなかった。それに……」

その顔がかっとなった。「どうした? 酔ってるのか?」

「怪我をしてるようだ」 別の男が言った。「血が出てないか?」

エリアスは驚き、けれどラルはもはや聞いていなかった。彼の内で何かが折れた。どこかで本能が、ここから立ち去りたいと願った。できる限り遠くへ。そして、実際に、果てしなく遠いところへ。灯が燃え上がり、世界に穴をあけ、瞬時にラル・ザレックは消えた。

……というようにしてラルはプレインズウォーカーに覚醒したのでした。精神的ショックで覚醒、というのは過去にも数人いましたが彼のそれはなかなか……えぐいな。傷を負って心身ともに弱っていたとはいえ。プレインズウォーカーは自身の覚醒経緯を滅多に他人へと語りません。ラルのこれも、きっと誰にも話していないんじゃないですかね。

■ラヴニカへの帰還

そうしてラルが最初に向かった次元の名前はわかっていません。彼が辿り着いたその次元の街では、そこかしこで電気を動力源とした機械が働いていました。到着以来それに魅入られたラルは、とある老技師のもとへ弟子入りして機械技術を学びました。

それから10年が経ち、ラルは一人前の技術者となって小さな企業を所有していました。そして自分の力で増幅器を初めて作り上げました。ラルが常に背負っているあの装置です。それがあれば、天候に威力を左右されることなく魔法を使用できるのです。

そんな彼の前に、再びあの老紳士が現れました。ラヴニカで、最後に会った時と全く変わらないその姿で。ニコル・ボーラスはこれまでのラルの動向を全て把握していました。一文無しでこの次元に流れ着いたこと、それからわずか10年でここまで成し遂げたことを。警戒しつつ、最初から自分のことを知っていたのかとラルは尋ねました。

「The Gathering Storm」チャプター16より訳

「君がプレインズウォーカーだということをかね?」ボーラスはそう言い、肩をすくめた。「言うならば……推測はしていた。プレインズウォーカーというのは極めて稀な存在、そして自らの灯をどう用いるかを教えられることはない。自ら灯すか、灯さないか、そしてそれにはしばしば一定量の精神的外傷を必要とする」

「それで、俺がそうなるように仕向けたのか」

「そのようなことは何も。私は君が求めるものを与えただけではないかね?」ボーラスの笑みが広げられた。「よろしくないことになったのは私の過失とはとても言えない。若き情熱だよ、知っての通り」

ラルをそう仕向けたのはなぜか、ボーラスは説明しました。プレインズウォーカーはとても稀な存在です。その素質を持つと思しき者がいれば、覚醒するように力付けてやる……将来の協力を容易いものにするために。自分は恩恵を与えたのではないかね、と尋ねるボーラスに、ラルはしぶしぶ頷きました。ですがそれを理由に仲間に加われと言われたとき、彼は。

同チャプターより訳

「あんたから学んだことを言わせてくれ。忠誠ってのは馬鹿のためにある。信頼ってのはカモのためにある。仲間は使うためにある、使えなくなる時までな」彼は肩をすくめ、背負った増幅器の重さを確かめた。「感謝はしてるよ。けどあんたが貸しだと思ってるものを払うつもりはない」

「それは残念だ」 ボーラスの笑みは消えていた。「君の地位は――」

「俺がここで築いたものを何もかも奪うつもりか。そうすればいい。俺はもう十分だ。これと――」彼は背負った装置を叩き、そして側頭部に触れた。「――この中のもの、それさえあればいい」

「私から逃げられると思うな、ザレックよ。どこへ向かおうと、私は追えるのだから」

「逃げなんてしない、ただ一歩先へ向かうだけだ」

かっこいいぞ。『ラヴニカのギルド』付近で語られていたラルとボーラスの関係、「過去に借りがある」「気まぐれに仕えていた」はつまりこういう詳細だったようです。でもこの時まだラルはボーラスの本当の姿を見ていないのですよね。後に、ラルも次第に相手の恐ろしさを理解していったのかなと思います。

それとこの一連のエピソードからラルの大まかな年齢が割り出せました。20歳の時にプレインズウォーカーとして覚醒、それから10年してラヴニカへ帰ってきた。イゼット団に入ったのはその後ですので、少なくとも30代ということになります。ラヴニカ人の年齢がよくわからないのは毎度のことですが、それでも若々しいなあ。

2. デス&タックスの恋人

ところで私はマジックのストーリーや設定における「仕込み」が大好きです。前もって何かほのめかされていたものが、後のセットでカードとしてババーンと登場する。例えば『基本セット2015』『タルキール覇王譚』に漂っていたウギンの気配からの『運命再編』。《イクサランの束縛》がアゾリウスの紋章に似ているところからの《法をもたらす者、アゾール》、とかそういうのです。

イゼット副長、ラル

2018年9月に《イゼット副長、ラル》のカードが公開された時、「何持ってるんだろう」と思った人も多かったでしょう。見たところ白い……布。少し前にいた《残忍な剥ぎ取り》を想起させるような(あれは猟奇的なものの表現なのだと思いますが)。ですが当時特に説明はされず、その疑問は疑問のままやがて忘れられていきました。

それから半年以上が経った『灯争大戦』。目玉はたくさんのプレインズウォーカーですが、ギルドからも伝説クリーチャーが登場していました。長いことカード化が望まれていた《虐殺少女》《贖いし者、フェザー》《迷い子、フブルスプ》といった面子の中、オルゾフ組から来たのは新顔でした。

高名な弁護士、トミク

一見しただけではオルゾフかどうかよくわかりませんが、2019年初頭に発売された「The Art of Magic: the Gathering: Ravnica」に情報が掲載されていました。第78回にも書きましたが再掲。

「The Art of Magic: the Gathering: Ravnica」P.50より訳

テイサの弟子トミクは契約、口頭約定、物理的障壁を操る防護魔道士です。両親は著名な弁護士、高位の支配者でした。2人は事故で死亡するも、すぐに霊となって息子を育て続けました。両親は愛をもって彼を育て、最も興味のある物事を学ばせました――すなわち物質的な富と口頭契約の両方を守る魔法です。

トミクは法を尊んで育ちました。法の抜け穴を操作することが好まれるこのギルドでは稀なことです。テイサ・カルロフの弟子として能力を磨き、彼女が幽閉されていた間は外部と繋がる唯一の手段となりました。トミクはテイサの知己と連絡を取り、密かに同盟を育み、幽閉の間にはテイサの右腕を務めていました。

強欲で名高いオルゾフ組としては極めて珍しい人物、というのがわかります。書籍に何やら重要っぽい人物の紹介が載っているというのは特に珍しくありませんが、実際にカード化されるとは限りません。そのため実際にトミクを見た時は私も結構驚きました。この一見不思議な能力は、レガシーでの《死儀礼のシャーマン》や《暗黒の深部》を見据えて作られたのだそうです。それをオルゾフ的な設定に落とし込むと「土地の権利に詳しい弁護士」になるというのが面白いですよね。

そしてトミクは、「デスタクでいけそう」というくらいで大きな話題にはならずにいました。2019年4月下旬に『灯争大戦』の小説が発売されるまでは。

小説「War of the Spark: Ravnica」チャプター4より訳

トミクがいてくれたら、そうラルは思ったが、正直なところトミク・ヴロナがこの戦いに不参加だったことはありがたかった。

『灯争大戦』の本編小説でトミクの存在が初めて言及されるのがこちら、割と序盤です。この付近で数度名前が出ていて、この段階でわかるのは「ほー、あの弁護士なんか重要人物なんだな」というくらいでしょうか。ですが少し進んでボーラスによる侵略が始まり、ケイヤが永遠衆と戦いながらこれまでを回想する(=読者への説明が行われる)場面のこと。

同・チャプター16より訳

ここ数日、ケイヤは哀れみから、貧しい家族がごくわずかな貸し付けから始まって何世代も負ってきた法外な負債を帳消しにした。これは彼女の重荷を多少は和らげたが、今や自身が率いるギルド内に争乱を生じさせてしまった。オルゾフ組は、控え目に言っても強欲な輩の集まりだった。彼らはケイヤの情け深い性格を良く思わず、反発を彼女はひしひしと感じていた。その最大の源はカルロフの、存命の孫娘テイサだった。テイサとケイヤはしばしの間同盟関係にあったが、今や明らかにそれは終わっていた。

ラルの恋人、トミク・ヴロナはこのオルゾフという迷路を進む幾らかの先導になってくれていたのだが、

テイサ・カルロフオルゾフの簒奪者、ケイヤ

なるほど、テイサとケイヤは利害が一致したと思いきやそんなことになっていたのか、大変だな……からのいきなり「Ral’s lover, Tomik Vrona(原文)」。大半の読者が「!!!???」となったことは想像に難くない。で、トミクどんな奴だっけと思って絵をよく見ると、純白の衣装にひときわ映えて、右手首に結ばれた赤い布が。そしてここで同じ『灯争大戦』のラルではなく『ラヴニカのギルド』のラルを見てみると、その白布は……いやこんな伏線、難易度高いわ!!

洞察のひらめき

とまあ色々な角度から驚きの事実でしたが、個人的には何よりもイゼットとオルゾフということで「色全く合ってねえ!」でした。

私は常々「同色・友好色のキャラは仲良し」と書いています。顕著だったのが旧テーロスブロックでのエルズペス周辺。友人、恋人、協力者、そのほとんどがバントカラーに収まっていて「友好色とはよく言ったものだなあ」と感心したものでした。まあ昔こそ「対抗色の組み合わせは強い」と言われていましたが、近年のマジックで友好色・対抗色の差は小さくなっているのも事実です。特に2色の組み合わせ全てが平等であるラヴニカにおいては、無いに等しいと言っていいでしょう。

ラヴニカで、異なるギルド員同士の恋愛は別に禁止されてはいません。種族や性別が取り沙汰されることも(私が知る限り)ありません。とはいえ両者ともそれぞれのギルドで高い地位に就いているため、関係が世間に知られたならよろしくない邪推をされる可能性は十分にあります。またラル自身、良家の育ちであるトミクに対してどこか負い目を感じているようでもありました。そういった理由から、二人は関係を秘密に保ってきました。同棲もしているのですが、互いのギルドの縄張りからある程度離れた、かつ通勤に支障のない地区にアパートを借りていました。

そんな二人の出会いも、前日談で説明されていました。そのまま訳しましょう。

「The Gathering Storm」チャプター3より訳

テイサ・カルロフはオルゾフ組と他ギルドとの結束を強化しようとしていた。秘書であるトミクがそのために動いていた頃、二人は出会った。トミクの聡明さ(と、慌てた時に眼鏡をいじる仕草)にそそられ、話が終わるとラルは個人的に会わないかと珍しい提案をした。その後、ともかく色々あって今に至る。

眼鏡なのか。「ともかく色々」の具体的な内容は明かされていませんでした。そんなトミクがどんな人物かといいますと、一言で表すと「良家の坊ちゃん」ですかね。素直で聡明、育ちの良さがふんわりとした雰囲気に表れています。繰り返すけれど本当にオルゾフ組とは思えないような。そして二人が密かに同棲生活を営んでいることは灯争大戦本編でも語られていたのですが、前日談では実際にそれがわかる場面もありました。

同・チャプター3より訳

遅い帰宅だった。コートを脱いで包みをテーブルに置いてまもなく、別の鍵が差し込まれた音がした。ラルは扉を開け、トミク・ヴロナの姿を見て片眉を上げた。その髪はずぶ濡れで、眼鏡には水滴が散っていた。

「まるで濡れネズミだな」

「濡れネズミの気分ですよ」 とトミク。「上着を聖堂に置いてきたんです、晴れる前に帰れるかと思って」彼は眼鏡を外し、シャツで拭ったがそれは大して用をなさなかった。「これもラルさんの仕業ですか?」

「お前が起こさせた嵐に終わりなんてないさ」 とラル。「カレー買ってきたぞ」

「そうですか、それでしたら許してあげます」

……カレー。この場面の前、ラルは帰宅途中にある食堂に寄ってカレーをテイクアウトしていました。ラヴニカにはカレーがあるのだ。ちなみに辛さも選べるようで、ラルは「Angry Crimson(激辛)」な色のカレーを、トミクは「Considerably Milder(それよりずっと甘口)」を食していました。いいなラヴニカ。

そしてボーラスの気配がラヴニカに迫る中、ラルは全ギルドを結束させるために駆けまわり、トミクもオルゾフ内部の対立に翻弄されていきます。『灯争大戦』本編と前日談を通して、ラルはトミクを真摯かつ真剣に愛しており、その想いが揺らぐことはありません。以前にも書きましたが彼にそんな一面があったとは私も驚きました。この二人の関係性は前日談の柱の一つですね。

なお『灯争大戦』の本編が先に来たので安心して読んでいたのですが、もし前日談→本編の順で公開されていたらどっちか死ぬんじゃないかって心配でたまらなかっただろうなあ。

その『灯争大戦』ウェブ連載版ストーリーでもトミクは登場しているのですが、同じ場面を小説版で読むとラルとの関係がさらによくわかるようになっています。

Magic Story「ラヴニカ:灯争大戦――退路なき任務」(『灯争大戦』第4話)より引用

話に追い付こうと、ザレック様が割って入った。「じゃあ、君は俺を追っていたのか、ヒカラに会ってからずっと?」

「時々です。ヒカラが一緒にいる時に私は必要なかったですし。けど近くにいるようにしてました。ヒカラが追い払われても、ザレック様の足跡を辿って報告できるように」

ウェブ連載版ではここで切れていますが、小説版ではこの後にも台詞が続いていました。こちらはラル視点になります。

小説「War of the Spark: Ravnica」チャプター40より訳

「ついでに言いますと、ザレック様と一緒のあの人、ヴロナさん、学者っぽさがすごく可愛らしいですよね。お二人ってとっても素敵ですよ!」

ケイヤはにやりと笑った。ラルは赤面するのをこらえ、目の前の少女はまたも姿を消した。この!

……強く生きろラル。悪いとは思いつつ、ここ笑わずにはいられなかったよ。そして次もウェブ連載版では載っていなかった場面。トミクは文官ゆえに直接戦闘は専門外、それでも最終決戦の局面では永遠衆との地上戦に勇敢に参加しました。ですがその様子はというと……

同・チャプター56より訳

ケイヤは思った。トミクは剣を持った馬鹿だと。いやもっと悪い、剣を持った役人だと。それでも彼とその奮闘は認めないわけにいかなかった。むしろ、トミクから5フィート以内に近づく永遠衆を一体残らず吹き飛ばすラルの動きを。

このラルは甲斐甲斐しくって微笑ましくなるのですが、トミク実際のゲームではレガシーデスタクで剣どころか十手持って相手を殴ってるんだよね。それにしても「Death & Taxes(死と税金)」という名のデッキにオルゾフ組のこの人が採用されるってフレイバー的合致が素晴らしい。

ちょっと話がそれた。そして二人は大戦を無事に生き延びたのですが、ラルには引き続き任務が課せられました。ボーラスの配下であるプレインズウォーカー、テゼレットを狩るというものです。折角一つの戦いが終わっても、休まる余裕はなく……そしてトミクはトミクで、オルゾフ組のギルドマスターの座を巡る騒動に巻き込まれていくのです。

3. Forsakenへ至れ その2

この先には2019年11月12日発売の書籍「War of the Spark: Forsaken」を資料とする「ネタバレ」が含まれていることをご了承下さい。

前回少し触れましたが、『灯争大戦』の続編小説が発売されています。内容としては本編のエピローグ直後(というかエピローグの別視点)から始まり、いくつかの出来事が同時進行で語られます。簡単に説明しますと

橋の主、テゼレット支配の片腕、ドビン戦慄衆の将軍、リリアナ

この三つを柱として、テーロスでのギデオンの葬送やゲートウォッチ各人の今後の動向、ジェイスとヴラスカのそういうやつ、テヨ君とラットちゃんのやっぱり甘酸っぱい関係、オルゾフ組内のいざこざ、そして世界の危機が終わって本業に戻ったラザーヴ……などが語られています。ギデオンの存在はやっぱりとてつもなく大きかったんだな……と改めて感慨深くなったりね。

で、前回ジェイスとヴラスカをちょっと紹介しましたが、今回はやはりラルを。物語序盤、自宅で熱い風呂(ラヴニカには風呂やシャワーが割と普通に存在します)に浸かりながら物思いにふける場面です。

小説「War of the Spark: Forsaken」チャプター8より訳

ギデオン・ジュラは死んだ。ラルはその男についてほとんど知らなかったが、この世界最長の日を通して真に素晴らしい人物だと思うようになった。ゲートウォッチの、近しい友人たちの胸中がどれほどのものかは計り知れなかった。

実際のところ、ラルはありがたいとすら思っていた。苦しい数か月が過ぎ去った今、大火事から無傷で逃げ出せたように感じていた。そう、今日は文字通り世界的な惨事が起こり、多くの友人を失った。

それでも率直に言うなら、真に近しい友は誰も死ななかった。ケイヤ、ラヴィニアは生き延びた。ヴラスカは生き延びただけでなく、彼が見ても心を改めたようだった。忌まわしいことに、ジェイス・ベレレンも生き延び、ラルが実際価値あると認める人物に浮上した。ヒカラと二ヴ、死亡した両者も、奇跡的に命を取り戻したのだ!

そしてそのどれよりも重要なのは、隣の部屋にトミクがいることだった。正直に言って、トミクさえいればラヴニカの全てが灰と帰しても構わなかった。いつからだ?いつからこの男が俺の全てになった?

その状況に慌てているわけではなかった。これほど誰かを愛することもできるという事実が、心のどこかで嬉しく思えた。エリアス以来、愛などというものは欺瞞だと自らに言い聞かせていた。自分の人生における見込み違いがこれほど嬉しかったことはなかった。

とてもいい描写だと思いませんか。あまり表面には出さないにしても、ラルの優しさや情熱、他者を認めるにやぶさかでない器の大きさが伝わってきます。Forsakenでは、確実に今後のストーリー展開に関わってくるであろう重要なイベントがいくつも起こっていました。

とはいえ上に書いた通り、複数のエピソードが同時進行しています。そのためどう紹介したものか、ある程度網羅するまでどれほどかかるのか見極めきれていないというのが正直なところです。とりあえず、今月中にもう一本書くかもしれないし書かないかもしれない。

それではまた。

(終)

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若月 繭子 マジック歴20年を超える古参でありながら、当初から背景世界を追うことに心を傾け、言語の壁を越えてマジックの物語の面白さを日本に広めるべく奮闘してきた変わり者。 黎明期から現在までの歴代ストーリーとカードの膨大な知識量を武器にライターとして活動中。 若月 繭子の記事はこちら