晴れる屋と迎える最後の夕陽

Javier Dominguez

Translated by Nobukazu Kato

原文はこちら
(掲載日 2025/02/18)

Hareruya Prosとして活動した7年半を振り返る

やぁ、みんな!

今日はお知らせがある。晴れる屋と私は、それぞれ別の道を進むことになった。今回が晴れる屋に寄稿する最後の記事となる。

これまでの道のりは、本当に素晴らしい旅だった!私は2017年の秋頃に晴れる屋ファミリーに加わったので、もう7年半もの間一緒に歩んできたことになる。

今でこそ、私はプロツアーや世界選手権でトップ8やトップ4といった成績を残してきたプレイヤーであるが、晴れる屋に加入した当時の実績は……ゼロだ。

そう、2017年の世界選手権がHareruya Prosとしての初めての大会であり、同時に初の上位入賞できた大会でもあった。プロツアーには何度か参加し、9位という成績を何度か残したことはあるが、ようやくトップ入りを果たしたのがこの大会だったのだ。

晴れる屋で執筆した2本目の記事は、『世界選手権2017』のレポートだった。そこでは、トーナメントにどのように臨んでいるかを説明するとともに、特別な思い入れのあるデッキ、ラムナプレッドについても語っている。

ラムナプレッドは、自身の構築フォーマットのプレイングを大きくレベルアップさせたデッキだ。このデッキはさまざまな方向性でプレイできるため、ゲームの理解を深める絶好の機会を与えてくれたのだ。マジックの歴史には同様のデッキがいくつもあるが、私が次のステップへ進む準備が整ったタイミングで最適だったのがこのデッキだった。

熱烈な勇者熱烈の神ハゾレト

《熱烈な勇者》《熱烈の神ハゾレト》が名前に共通点を持っているのも、きっと偶然ではないだろう。

その後、すべてがうまく回り始めた。

わずか数か月後、スペイン・ビルバオの地で開催されたプロツアー『イクサランの相克』で初のプロツアー・トップ8を達成したのだ。

長年プロツアーで戦い続けた末に、この大会で『世界選手権2017』の準優勝が「単なる1回の好成績」にとどまらないことを証明できた。また、当時のモダンのデッキは今とはまったく違っていたね!

それから私は素晴らしいシーズンを過ごした。

ただ、そのシーズンは後のキャリアに比べればそれほど大したものではなかったことを、私はまだ知る由もなかった。もし当時の自分にそう伝えたら、きっと冗談だと思ったことだろう。だが、現実はちがった。こうして書いていると、ちょっと懐かしくなってグランプリ時代のことを思い出した。あのころは、本当にたくさんのトーナメントを戦ったもんだ!

そして、すべてを変えた大会がやってきた。

今でも、この『世界選手権2018』が個人的に最も入念に準備をした大会であり、今後もこの記録が破られることはないだろう。このレポートを読み返すと、当時の記憶が鮮明によみがえり、記事に込めた愛情を改めて実感することができる。プレイスタイルには多少の変化があるかもしれないが、ゲームへの向き合い方は今も昔も変わっていない。

世界選手権を優勝後、私は「もう自分は燃え尽きてしまうのではないか」「幸運が続かないのではないか」と少し不安になった。しかし、それは間違いだった。

ほどなくして、ミシックチャンピオンシップII』(プロツアー『灯争大戦』)で再びトップ8入りを果たしたのだ。

ラムナプレッドが成長のきっかけとなったデッキなら、イゼットフェニックスは私のキャリア全体で最も上手くプレイしたデッキだと言えるだろう。『灯争大戦』のドラフト調整に自信を持って臨んだこの大会は、0勝2敗スタートからのトップ8という劇的な巻き返しを果たした。こうした逆転劇は、この後も何度か経験することになる。

この大会レポートでは、自分のキャリアの中でも最も劇的な逆転について語っている。そして、2025年2月の今振り返ってみても、ゲーム内のシナリオとしては依然としてトップクラスの出来事だったと思う。

龍神、ニコル・ボーラス

また、この大会では《龍神、ニコル・ボーラス》の[-8]能力でプロツアーの試合に勝つという、忘れがたい瞬間もあった。

そして2019年、さらなる飛躍の年となった。特に『ミシックチャンピオンシップV』では、自分でも信じられない優勝を果たすことができたのだ。

むかしむかしエンバレスの宝剣

環境にほとんど存在しなかったオリジナルのデッキで優勝するなんて、自分にはできないと思っていた。しかしその週末、ぶっ壊れた強さの《むかしむかし》と、当時まだあまり使われていなかった《エンバレスの宝剣》の力を借りて、優勝を果たした。運が味方した大会だったのは間違いない。

その数か月後、セス・マンフィールドが新たなデッキを作り上げ、それが環境を支配することになる。

この大会では、ブラッド・ネルソンと共にセスのリストを採用し、結果として2人ともトップ8に進出した。自分は3位という好成績を収めたが、この大会で得た最大の学びは「信頼できる人の知見を活かすことの重要性」だった。

ケンリスの変身

デッキ選択の判断を信頼できる仲間に委ねることが、どれほど大きな成果につながるのかを実感した瞬間だったのだ。ちなみに、このときサイドボードに《ケンリスの変身》を採用していたが、これまで大型イベントでトップ8に残った中で、間違いなくワーストなサイドカードの1枚だったね。

その後、世界はパンデミックに突入し、競技マジックのシーンも一時停止を余儀なくされた。

この期間中、自分の友人たちが特に気に入ってくれている記事を書いた。

渦まく知識思案定業

この記事の内容は、今でも自分の考え方とほとんど変わっていない。キャントリップを最大限に活用する方法について書いたものだが、当時の自分の考察が今でも通用するのは嬉しいね。

そして、パンデミック後のプロツアー時代が始まった。このとき、自分はまさかこんな展開になるとは思ってもいなかった。

というのも、ウィザーズがプロツアーのシステムを完全にリセットしたため、2023年のプロツアー『ファイレクシア』が発表された時点では、なんと自分はまだ出場資格すら持っていなかったのだ。しかし幸運なことに、地域チャンピオンシップを通じてプロツアーに復帰し、そこからプロツアー『機械兵団の進軍』へと繋げることができた。

鏡割りの寓話絶望招来夜を照らす希望の標、チャンドラ

この大会では、環境最強クラスの《鏡割りの寓話》《絶望招来》を擁するラクドスミッドレンジを使用し、さらにアンソニー・リーの発案した《夜を照らす》《希望の標、チャンドラ》のコンボを採用したデッキで挑んだ。

パンデミック後、自分のマジックとの関わり方は少しリラックスしたものになっていたので、「もうプロツアーのトップ8に入ることはないかもしれない」と思っていた。だが、それでも日曜日の舞台に立つことができた。この結果により、その後1年間のプロツアー出場権を確保することができ、それまでの「次の大会に出られるかどうかわからない」状態から大きく変わることになったのだ。

そして、なんとプロツアーでのトップ8が2大会連続で続くことになる。

今振り返っても、プロツアー『指輪物語』で使用した我々のトロンは、プロツアーにおいて使用したデッキの中でも、環境全体を考慮したときに間違いなく最高のデッキのひとつだったと思う。

そして、2024年がやってきた。

プロツアー『カルロフ邸殺人事件』で9位入賞。

プロツアー『サンダー・ジャンクション』では10位入賞。

そして、プロツアー”ナドゥ”でトップ8進出。

……ただし、自分が使ったのはナドゥコンボではなく、チームで調整したジェスカイコントロールだった。

こうして振り返ると、自分は「Tier1の王道デッキを使うプレイヤー」だと思っていたのだが、実際には自分の最高成績のうち、かなりの割合が独自に調整したデッキによるものだった。

そんな“独自のデッキ”での勝利といえば……

こうして、自分の競技マジック人生のひとつの節目が訪れた。

さいごに

晴れる屋に加入したとき、自分の夢は「いつかプロツアーでトップ8に入ること」だった。そして2017年の世界選手権で準優勝したとき、とても現実とは思えなかった。

その後、世界選手権で優勝を果たし、さらに複数のプロツアーでトップ8に入賞。そして2024年、再び世界選手権で優勝することがでできた。

「夢が叶った」と言うのは簡単だが、それ以上のものを得たと思っている。世界選手権のタイトルを2回も獲得するなんて、当時の自分は想像すらしていなかった。

晴れる屋が、大きな実績を残す前の自分を信じてくれたこと。困ったとき、常に支えてくれたこと。このサイトで記事を書き、自分のマジック観を共有する場を与えてくれたこと。すべてに、心から感謝している。

そして、長年にわたり応援してくれた読者のみなさん……

どうもありがとう!

Javier Dominguez (X / Twitch)

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Javier Dominguez スペインを代表するプレイヤー。 グランプリトップ8入賞は6回。【グランプリ・パリ2014】と【グランプリ・ロッテルダム2016】で優勝も経験している。 プロツアーでもその力を発揮し、【プロツアー『戦乱のゼンディカー』】と【プロツアー『破滅の刻』】では9位に入賞を果たすなど、輝かしい戦績を誇る。【ワールド・マジック・カップ2016】では母国スペイン代表のキャプテンを務めた。 Javier Dominguezの記事はこちら