攻撃は最大の防御

Matti Kuisma

Translated by Kenji Tsumura

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(掲載日 2018/03/06)

2010年8月7日、アンデウソン・シウバ/Anderson Silvaはミドル級の王者としてUFC (注:1) ・オクタゴン (注:2) に参戦した。シウバは格闘技界のレジェンドで、多くの人々に世界最強のパウンド・フォー・パウンド・ファイター (注:3) だと考えられていた。彼のことを歴代最高の総合格闘家と呼ぶ人さえいたほどだ。また、シウバはUFJにおける史上最長の在位期間を誇った選手だ。これに関連して、彼は当時まだ一度たりとも敗れたことがなかったんだ。

(注1: アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ/Ultimate Fighting Championshipの略称。アメリカの総合格闘技団体。)

(注2: 金網で囲まれた八角形の試合場の固有名称。)

(注3: 体重差がなかった場合に最強とされる選手を称賛する名称。)

彼の対戦相手はチェール・ソネン/Chael Sonnen。チェールはオクタゴンの格闘技の技術面というよりかは、むしろそのトラッシュトーク力で著名だった選手だ。

格闘技

チェールの母親を除くほぼ全ての人々は、またもやシウバの一方的な虐殺劇が起こるだろうと予想していたし、事前のオッズ比もかなりシウバに偏っていた。しかしいざ試合が始まると、シウバはこれまでに体験したことのない状況に陥ってしまったとすぐに気が付いた

そう、彼はぶっ飛ばされてしまったんだ。

シウバにとって形勢は少し不利だなんてもんじゃなく、圧倒的に押されていた。チェールは楽々とマウントを取り、これまでのシウバの対戦相手たちが与えてきたよりも遥かに多くの致命的な打撃技を繰り出し続けた。想像してみてほしい。これまでの全ての対戦相手が繰り出してきた合計よりも多くの打撃技を、だよ。

最初の4ラウンドの間、シウバは基本的にサンドバックだった。人々に殺戮ショーを届けるために全精力を捧げた83キロの殺戮マシーンのね。チェールはトラッシュトークの方が有名だったかもしれないけれど、パンチの当て方もちゃんと心得ていたんだ。頬に軽く平手打ちをしてきただけじゃあタイトルマッチの挑戦者になれはしない。たくさんの対戦相手を打ち倒してきたからこそこの場にいるんだ。

凶暴な殴打

最終第5ラウンドも他のラウンドと同じように始まった。チェールがマウントを取り、シウバを殴り始めたんだ。この時点において、ほとんどの人はできるだけ長く耐え凌ごうと考えて次なる打撃に備えるだろう。だがアンデウソン・シウバは我々一般人とは違った。彼は致命傷を避けようとしただけではなく、依然として勝利を狙っていたんだ。

喉首狙い

残り時間が2分に差し迫ったところで、シウバはこのマッチのほとんどでそうであったように地面に背を付けていたものの、ここで彼はチェールの肩に足を滑らせ三角絞めを試みた。チェールが抜け出そうとしたところでシウバは腕ひしぎ三角固めへとスイッチし、そしてチェールを投了に追い込んだんだ。たった20秒かそこらで試合は完全に別物になり、シウバはどん底からチャンピオンとして再び立ち上がった。このマッチ、そして多くのその他のケースにおいて、攻撃は最大の防御となるんだ。

危機を脱せよ

シウバの勝利で注目すべき偉業は、試合中のほとんどの時間を防御に費やしていたにもかかわらず、守り一辺倒の考え方にならなかったことだ。マジックの試合で対戦相手のライフが3、またはそれ以下にもかかわらず、《稲妻》を対戦相手のクリーチャーに対してキャストしまう事象を、僕はこれまでに幾度となく目撃してきた。

長らくの間防御的な思考を続けていると、プレイヤーの意識は “勝つこと” ではなく “死なないこと” に向いてしまうんだ。これは分かりやすい極端な事例ではあるし、おそらく読者のみんなは “俺には関係のない話だな” なんて思ってるんじゃないかな。でも他にも微妙な例はたくさんあるし、 “いつ” 、”どこで” 攻撃的な立ち振る舞いをすべきかを習得するのはとても難しい。

稲妻稲妻のらせん

いくつかのデッキにおいては、他のデッキ以上に攻守の入れ替えが重要となる。例えばモダンの「ジェスカイ」なんかは完璧な例と言えるね。「ジェスカイ」は、通常《稲妻》《稲妻のらせん》といったカードを序盤は対戦相手のクリーチャーを食い止めるために使う。そして、しかるべきときが訪れればそれらのカードをゲームを終わらせるために使用するんだ。対戦相手のターン終了時に《稲妻》《瞬唱の魔道士》《稲妻》と動き、《天界の列柱》による攻撃で対戦相手を沈めることになる。ときには無謀に見える攻撃や、対戦相手にとっては些細に見えるショックランドへのライフの支払い、こういった事象の全てが、君を防御から攻撃へと移ることを可能にするために必要なことなんだ。

稲妻瞬唱の魔道士稲妻

「ジェスカイ」のようなデッキは、いつだってギアが切り替わる好機を探しているため、それを見逃してしまうことは少ないだろう。だけど、ときに攻撃的にいくべきだと予測できないことだってあるだろうし、 “攻撃する側” と “守る側” の境界線はときに不鮮明なものなんだ。ときに君は “攻撃する側” にまわるべきタイミングを見つけられるかもしれない。だが多くのリスクを背負わずに十分なプレッシャーを与えることのバランス感覚を養うことはとても難しい

攻守を両立できるなら、片方を選ぶ必要はない

マジックの歴史において最も有名な記事のひとつである“どちらが攻撃する側なのか?/Who’s the Beatdown?”の中で、 “自身の役割 (攻めるのか守るのか) を間違えることはゲームの敗北を意味する” と述べられている。ゲーム内の自身の立場が攻める側なのか、それとも守る側なのかをきちんと見極められるように努めようという主旨だ。とはいえ、これは白黒はっきりつけられるようなことだとは思えない。プレイヤーはしばしば異なる程度で攻守を両立させなければならないからね。

プロツアー『イクサランの相克』の5ラウンド目で、Hareruya Hopesのマキス・マツォウカス/Makis Matsoukas (親和) とHareruya Prosのハビエル・ドミンゲス/Javier Dominguez (5色人間) がフィーチャーマッチで試合を開始した。試合は下記リンクから観戦することができる。

ハビエルの方が素早いスタートを切り、マツォウカスの《鋼の監視者》を2度バウンスすることができた。1度目は《反射魔道士》で、2度目はそれをコピーした《幻影の像》でだ。2度目のバウンス後、マキスは明確に劣勢になったと思っていた。だがビデオでは9分30秒ごろのシーンで、マキスはそれでもなお《墨蛾の生息地》を起動して「毒カウンター」をひとつ与えたんだ。

同じ状況で他のプレイヤーであれば、返すハビエルのターンにより良いブロックができるように《墨蛾の生息地》をブロック用に残したのではないだろうか。だがこれは攻撃と防御を同時にこなすべきだと理解しているプレイヤーの偉大なる実例なんだ。

墨蛾の生息地

その少しあと、ハビエルがクリーチャーたちで攻撃をした12分45分ごろのシーンでは、マキスは《墨蛾の生息地》を攻撃させずに2枚ともアンタップさせたままだ。ここでマキスはライフを守るためであったり、より良いブロックをするようなことはせず、《墨蛾の生息地》を2枚とも温存することを選択してライフは1まで落ち込んだ。マキスは自身が攻める側ではなく守る側の立場でありながらも、この2枚の《墨蛾の生息地》がアタッカーとして重要だと理解していたというわけだ。

17分40秒にあたる数ターン後、マキスは4/4と5/5の《墨蛾の生息地》2体でぴったり「毒カウンター」が10個になる最後の一撃を見舞った。マキスが序盤に与えていた1個の「毒カウンター」が報われた瞬間であり、これによりハビエルを1ターン早く倒すことができたんだ。もしもハビエルにもう1ターンの猶予を与えてしまっていれば、《カマキリの乗り手》《反射魔道士》といったトップデッキによって容易にゲームの敗北という対価を支払うことになっていただろう。

カマキリの乗り手反射魔道士

これには “プランを持つ” ということの多くが集約されている。マツォウカス対ドミンゲスのこの一戦において、マツォウカスがゲームの序盤から《墨蛾の生息地》を勝ち筋と見なしていたことは明白であり、彼はそれに沿って試合を進めたんだ。同様に、シウバが絶えず攻撃の機会を伺っていたという偉業も彼にとっては自明だったのだろう。最終第5ラウンドが始まる時点で、それまでの4ラウンド全てをチェールが取っていたことは明らかだったし、したがってシウバにはポイントで逆転するという道はなかった。つまり最終ラウンドをどれだけ上手く戦えるかなんてことはどうでもよくて、シウバが試合に勝つためにはノックアウトか関節技しかなかったんだ。そして、シウバは自身が何をすべきか分かっていた

ここではふたつの教訓が得られる。まずひとつ目に、君が守る側であった場合のゴールは実際にゲームに勝つことであって長く生き長らえることではないということだ。ゲームに勝つためには何をする必要があるのか?守りを固めつつ、それと同時に勝利へ向かう道はあるのか?役割なんて忘れてしまおう。必ずしも “攻める側” か “守る側” の片方のみを演じる必要なんてないし、それらを同時にこなすことだってできるんだから。

ふたつ目に、カードはしばしば攻撃面と防御面でその価値を変える。自分のデッキにそういったカードが入っているのか?対戦相手のデッキにはどうだろう?クリーチャー1体を4体目のブロッカーとして立たせておくよりも、攻撃させた方が有益だったりしないだろうか?

ゲームをきっちり終わらせる

さあ、君はようやく盤面を膠着させ、ギアを入れ替えて攻撃を開始するところまできたとしよう。こういった状況で起こりやすいミスは、素早くゲームを終わらせないことだ。例え君自身を有利な状態に導こうとも、その優位がいつまでも続くとは限らない。

素早い行動

“どうやったらこのゲームに負けてしまうだろうか?” と自問自答した場合、おそらくその回答は “十分なブロッカーを残さなかったらきっと速攻クリーチャーや火力呪文に負ける” といったものになってしまう。そして過剰なブロッカーを用意してしまい、そういったカードをケアしながらプレイすることが結果として対価を支払うことになると気付きもせずに自分自身のダメージクロックを減らしてしまうんだ。

これから話すような内容を聞いたことがないという人は挙手してくれ。「もうほとんど勝ったようなもんだったんだけど、そこから相手が勝つために必要だった (カード) X→ (カード) Yと連続で引き当てて、こっちは土地ばかり引いて負けちゃったんだ。こっちにできることなんて何もなかったし、あんなのどれくらいの確率で起こるんだろうな?多分1000回中3回とかでしょ!か~、対戦相手ついてんなー。」

稲妻のらせん

我々の脳は、引かれたら負けてしまう特定のカードを計算する上でとても優秀なんだ。だけど、カードの組み合わせに関してはどうだろう?脳はそうのようにはできていない。引かれたら負けてしまう組み合わせまで視野を広げると可能性は急激に上昇し、我々の脳にはそれらの情報量を処理するだけの十分な能力が備わってはいない。

先ほどの発言で僕が最も気に入らないところは、「相手が勝つために必要だった (カード) X→ (カード) Yと連続で引き当てて」という部分で、これはほぼ常に真実とは異なる。実際に起こってしまった展開以外にも、負けてしまう可能性はたくさんあったはずなんだ。もちろん、それらが起こる可能性は決して高くはないけれども、そのうちのひとつが実現してしまう公算は君が思っているよりもずっと高い。

これはある種の宝くじのようなものだ。もし君が宝くじを買ったとしても、君が当選する確率はほとんどないだろう。だけど宝くじを買った誰かいずれかが勝つ見込みは相当に高いんだ。これはテリー・プラチェット/Terry Pratchettの本にあった素晴らしい言葉を想起させる。

“科学者たちが明らかに不合理な物事が実際に生じてしまうようなことは滅多に起こらないだろうと推測する一方で、手品師たちは滅多に起こらないことであれば大抵起きるものだと考えた。”

対戦相手に余分にターンを与えてしまえば、君が思い付きもしなかった負け筋を辿る可能性は広がってしまう。たくさんの土地を引いた。土地を全く引けなかった。打ち消し呪文ばかりを引いてダメージクロックが引けなかった。クリーチャーはたくさん引けたけど対戦相手のコンボを阻害するカードが一切引けなかった。対戦相手が爆弾レアを引き当てた。対戦相手が《黄金都市の秘密》から3枚の呪文を引いた。可能性は無限大だ。

黄金都市の秘密

僕はつい最近モダンのマッチを観戦していた。「グリクシス・コントロール」を駆るプレイヤーは手札にいくばくかの呪文を抱え、《瞬唱の魔道士》と「変身」した《アズカンタの探索》をコントロールしておりほとんどゲームを掌握していた。彼は安全を優先するあまり、2ターンに渡って《水没遺跡、アズカンタ》《稲妻》ではなく《論理の結び目》を選択したんだ。

稲妻水没遺跡、アズカンタ論理の結び目

だがいくつか小さな問題があった。対戦相手が《魂の洞窟》《エルドラージの寸借者》という、打ち消し呪文に耐性のあるカードが入った「赤緑エルドラージ」をプレイしていたことだ。「赤緑エルドラージ」プレイヤーの身振りから、彼の手札に《魂の洞窟》があることは明白だった。ドローフェイズにカードを引く素振りは、彼が引けば勝つカードがあると知っていること、それを引けないことにイラついてることを正確に表していたし、その様は手札に《魂の洞窟》を持っているプレイヤーのそれだった。

僕には彼の心の叫びが聞こえてくるようだった。「俺の愛しの《現実を砕くもの》はどこに行っちまったんだ」ってね。一方の「グリクシス・コントロール」プレイヤーは何が起こっているのかを全く理解しておらず、《稲妻》ではなく《論理の結び目》を選び続けたんだ。それにもかかわらず、彼は《黄金牙、タシグル》を引き当ててゲームに勝利した。

だが安全にプレイしようとすればするほど、彼は知る由もなかった負け筋である《現実を砕くもの》《エルドラージの寸借者》を引き当てるだけの時間を与えていることと同意なんだ。

現実を砕くもの魂の洞窟エルドラージの寸借者

今君は、これは本当に自分とは縁のない話なんだろうかと改めて考えているんじゃないだろうか。君は「赤緑エルドラージ」デッキに《魂の洞窟》が入っていることを知っているかもしれない。でも本当に《魂の洞窟》は入っているんだろうか?もしも対戦相手がこれまでに直面したことのないデッキを使っていたとしたら?もしも対戦相手が既存のリストには採用されていないような、君を苛立たせるカードを採用していたとしたら?リミテッドの場合はどうだろう?

これまでに「このゲームには負けようがないな」と思ったあと、それにもかかわらずそのゲームに負けてしまったことはないだろうか?私にはその経験がある。

命知らず

私はむやみやたらと攻撃しろだとか、いついかなるときでも対戦相手を可能な限り素早く倒せだとか、予想しているカードをケアするなと言っているわけじゃない。シウバ対チェールの試合は、攻撃がひどい防御に繋がってしまうという意味でも素晴らしい実例だ。この試合をシウバ側ではなく、チェール側の視点から見てみよう。対戦相手に時間を与えるということが、どれほど大きな対価を払う結果を招いてしまうのか。そして、我々の脳はそれに伴うリスクの数々を上手く計算できるようにはできていないということを覚えておいてほしい。

マッティ

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