By Atsushi Ito
3日目のHareruya Prosの戦いは、最後の一人に託された。
チャンドラ霊気池を駆るマーティン・ミュラーの準々決勝の相手は、クリスチャン・カルカノ。誰もが認めるドラフトの達人であり、これまで幾度もグランプリトップ8を経験しながらもプロツアーでの活躍が意外なほどに少なかったプレイヤーだ。
プロツアーの権利を獲得するためにPTQに挑み続けたグラインダーとしての長きに渡る苦闘は、Walking the Planesの中でも触れられている。
そんな強敵を相手に、しかしミュラーは圧倒的なまでの相性差を見せつける。
4枚搭載された《炎呼び、チャンドラ》はまさしくこのためにあった。1ゲーム目、2ゲーム目ともにカルカノのゾンビの群れを薙ぎ払い、《絶え間ない飢餓、ウラモグ》への露払いという大役を見事に全うせしめたのだ。
さらに3ゲーム目。ついに《失われた遺産》で《炎呼び、チャンドラ》と《絶え間ない飢餓、ウラモグ》を失い、全ての「当たり」を失ったミュラーは、それでも《霊気池の驚異》でリソースを増やしながら《導路の召使い》と《ならず者の精製屋》でカルカノのライフを地道に削る。
そして今にもゾンビの群れに圧し潰されそうというラストターンに、ここしかないという《焼けつく双陽》+《蓄霊稲妻》でブロッカーを排除し、膨れ上がった《不屈の追跡者》の一撃でもってトップ4への扉をこじ開けたのだった。
マーティン・ミュラー/Martin Muller
※画像はマジック:ザ・ギャザリング日本公式ウェブサイトから引用しました。
準決勝。対戦相手はもはや説明するまでもなく世界最高峰のプレイヤーである渡辺 雄也。《霊気池の驚異》の同型対決となる。
だが、おそらく前日夜の調整は準々決勝の対ゾンビに時間を割いたのであろう。《織木師の組細工》がサイド後に残っているなどの緩手もあり、《霊気池の驚異》同型戦に長けた渡辺相手に付け入る隙を見出せず、0-3でストレート負けを喫することとなった。
決勝戦は、渡辺 雄也 vs. SCGの人気ライターでもあるジェリー・トンプソン。《霊気池の驚異》対 黒単ゾンビという、このプロツアーを象徴する対決となった。
だが、チャンドラ霊気池のミュラーとは異なり、渡辺の《霊気池の驚異》は《検閲》や《造反者の解放》にスロットを割きミラーマッチを制することに主眼を置いていた。
渡辺はメインボードを立て続けに2本落とすと、3本目こそトンプソンの事故で取り返すものの、続く4本目、《呪われた者の王》を捌かれた後に《戦墓の巨人》を立て続けに並べるトンプソンに対し《霊気池の驚異》を引き込むタイミングが遅れた渡辺は、気が付けばたとえ《絶え間ない飢餓、ウラモグ》がめくれたとしても間に合わないほどに、盤面をゾンビの群れで埋め尽くされてしまっていた。
ジェリー・トンプソン/Gerry Thompson
※画像はマジック:ザ・ギャザリング日本公式ウェブサイトから引用しました。
プロツアー『アモンケット』優勝は、ジェリー・トンプソン。
もしマーティンが、準決勝で渡辺を下せていたなら。
チャンドラ霊気池はゾンビの代わりに、ナッシュビルを象徴するデッキとなっていただろう。
しかし、そうはならなかった。
けれどそれでも、チーム「GENESIS」が持ち込んだチャンドラ霊気池は、間違いなく今大会のベストデッキだっただろうと思う。
準決勝の試合が終わったミュラーがフィーチャーマッチの壇上を降りてきたとき、私はかける言葉が思いつかず、2日目にトップ8が決まった瞬間と同じように、“Good run.”とだけ声をかけた。
するとミュラーは、まだ登るべき高みが残されていると言わんばかりに、“I was very bad.”と口を開き、準決勝での反省点を口早に述べた。
優勝していれば、世界選手権出場が確定となるはずだった。それを逃したのだから、悔しさが先に来るに違いない。何よりも、彼はまだ19歳という若さなのだ。
それでもミュラーは失意を表には出さず、己の為した選択ときちんと向き合っていた。私はそこにこそ、彼の本物の「強さ」を見たような気がした。
「強さ」とは何か……それはプロツアー『カラデシュ』から引き続いて、私がこの取材を通じて探求しているテーマだ。
チームシリーズの導入やスタンダードでの久しぶりの禁止改定など、2016-2017シーズンは激動のシーズンであり、競技としてのマジック:ザ・ギャザリングを取り巻く状況は年々複雑になってきている。
だが、だとしても、このプロツアーというイベントの素晴らしさだけは、何物にも代えがたいとそう思うのだ。
なぜなら、このプロツアーという最高の舞台でどこまでも「強く」あらんとするプロプレイヤーたちの姿、与えられたルールの中でベストなパフォーマンスを見せようとする彼らの姿は、私たちがより良い生き方を得るための模範として、明日への希望を与えてくれるものだからだ。
そう、それはおそらくカントリー・ミュージックのように。疲れた心を慰撫し、物事の捉え方をポジティブに変え、日々を生きる活力を取り戻させてくれる。
世界が色鮮やかに映る。未知の可能性にワクワクする。英雄であり主人公であり、物語を紡ぐ主体である自分を呼び起こす。
たとえばマーティン・ミュラーや、八十岡 翔太の戦いぶりがそうであるように。
良く生きることができない他者に対しても伝播し、鈍麻した感性を再び目覚めさせる……「強さ」とはきっと、そういうもののことを指すのだ。
私たちは、その選択に意思を見る。
最高峰のプレイはまさしく音楽のように私たちの心に沁みわたり、積み重なった棋譜はコード進行を織りなす。
コードを受け取ったなら、今度は私たちが演奏する番だ。
うまくできるかはわからない。けれど自分もまた、誰かの手本となるかたちを示すために。
一音一音、日々の選択を繰り返していくのだ。
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