Translated by Nobukazu Kato
(掲載日 2021/9/29)
はじめに
時の経過と新セットの発売とともに、モダンは進化し続けています。『モダンホライゾン2』は今もなお毎週のように環境を変動させており、しばらくは今回のような記事を書けそうです。
『イニストラード:真夜中の狩り』のなかにもモダンに参入してきたものがいくつかあります。まずは、その新セットから2つの強化を受けたデッキから始めることにしましょう。
アゾリウスコントロール
新セットからの新戦力、そして伝説のコントロールプレイヤーであるギョーム・ワフォ=タパ/Guillaume Wafo-Tapaの長期に渡るMagic Onlineでの好成績。これが意味するものは、コントロールの完全復活です。
新カードは当然喜ばしいものですが、アゾリウスコントロールへの注目を集める結果になっています。《記憶の氾濫》は《嘘か真か》よりもわずかに強く、《黄昏の享楽》は《機を見た援軍》の強化版です。
個人的にアゾリウスコントロールを評価している点は、現在のメタゲームに良く刺さる《虚空の杯》《安らかなる眠り》の2枚を上手く使えるデッキだということです。《虹色の終焉》は1マナですがそのテキスト上、《虚空の杯》を使うからといって採用を見送る必要はありません!
まだデッキリストごとに違いが大きく見られる段階ですし、モダンで《サメ台風》を使おうと思う人たちの気持ちがどうしても理解できませんが、アゾリウスコントロールは現環境でひとつの良い選択肢であるように思います。
ラガバン
7月に書いた記事では、ミッドレンジの代表的なクリーチャーのマナコストが低下したことで、環境がどう変わったかをお話しました。そしてそれからの2か月はまさにその考えを象徴するようでした。
環境を定義しているカードを1枚挙げろと言われれば、《敏捷なこそ泥、ラガバン》は間違いなくひとつの候補になるでしょう。《敏捷なこそ泥、ラガバン》は1マナでありながら苛立たしいほどにアドバンテージを重ねていくことがあり、後手時にこの猿クリーチャーと対面する可能性に備えるべく、環境のデッキたちは軽く、できればインスタントの除去を多く採用する大きな負担を強いられています。
ミッドレンジの本質は「弱いカードお断り」であり、時の流れに合わせてひたすら強くなります。リストは洗練され、問題となるマッチアップの対策が発見されていくのです。
では、ラガバンデッキは最近になってどのように変化していったのか。そのひとつが《ウルザの物語》入りのジャンドカラー構成です。先日のShowcase Challengeではこのジャンドが優勝していました。
ジャンドサーガ
ジャンドは「弱いカードお断り」の原則にのっとり、強いカードだけで構成されています。《ウルザの物語》が連れ添うアーティファクトは多くありませんが、このカードもまた原則に従った1枚です。
アーティファクトが少ない構成ですから、最初の数体の構築物トークンが飛び切りのサイズになることはないでしょう。無色マナの使い道が非常に限られていることもあいまって、このデッキの《ウルザの物語》は通常とは異なる挙動をします。
2ターン目に出して構築物のサイズを上げていくことはほとんどなく、手札が枯渇してきたら出すのです。《レンと六番》で役目を終えた《ウルザの物語》を回収するシナジーを活用すれば、ジャンドのリソースはまさに無尽蔵です。
このデッキを実際に回した経験から言うと、そこそこの結果は出るのですが、《レンと六番》と《ウルザの物語》のコンボにどれほどの意味があるのだろうと疑問に思うことが多々ありました。このデッキの強さは、その強固なデッキの核と《邪悪な熱気》に焼かれない《タルモゴイフ》にこそあるのではないかと感じていたのです。
その反面、《タルモゴイフ》を最大のサイズまで引き上げ、《邪悪な熱気》に焼かれない境目であるタフネス7にするには、《レンと六番》の貴重なカードタイプに意味が出てきます。いずれにせよ、このデッキが環境に居座るだけの力があるのは疑いようがなく、先ほど話した進化し適用するミッドレンジの特徴を備えた赤系のデッキです。
思うに、こういったジャンドはもっとカードの色拘束に気を配るべきです。いまは《終止》が定番になっていますが、多少弱くなるとしても《破滅の刃》や《喉首狙い》なども検討すべきでしょう。《ウルザの物語》の無色マナからでも唱えられるのは決して無視できないメリットです。
とはいえ、《敏捷なこそ泥、ラガバン》+2つ目の脅威+妨害呪文の束こそが永久の正解だとは考えるべきではありません。勝つことを目指すのであれば、あらゆるラガバンデッキに精通することが有効な戦略となるでしょう。
エレメンタル
そう考えると、こう思うようになりました。「《敏捷なこそ泥、ラガバン》を使わないのはミスではないか?」
そう思った私は、Discordメンバーからの提案を受け、当たり前のようで当たり前ではないことを試すことにしました。エレメンタルに《敏捷なこそ泥、ラガバン》を入れてみたのです。
実験の結果は完全なる成功とは言えず、自分で投げかけた疑問への答えは「ミスとも言い切れない」でした。《孤児護り、カヒーラ》が使えなくなること、マナベースへの負担が大きくなることは無視できないデメリットです。《敏捷なこそ泥、ラガバン》は、エレメンタルを初めて構築したときからキーカードだと思っていた2枚、《儚い存在》《発現する浅瀬》と全くシナジーがありません。
総じて《敏捷なこそ泥、ラガバン》は最高と言える出来ではありませんでしたが、この実験からエレメンタルへの理解が深まるとともに、私のプレイヤー、デッキビルダーとしての至らない部分も理解できました。《敏捷なこそ泥、ラガバン》を試す前は、《儚い存在》と《発現する浅瀬》をサイドアウトしようなどと考えたことはほぼなかったのです。デッキ内のシナジーが薄れたことで、《儚い存在》は本当に不可侵の存在なのか考えさせられました。
エレメンタルは、ここ2か月の配信で中心的に使用してきたデッキです。にもかかわらず、無数に考えられるサイドボードプランのなかから、ごくわずかな部分しか可能性を摸索しておらず、「これで上手くいってそうだ」という理由から早々に特定のプランに落ち着いてしまっていました。
この件をきっかけに、自分がマジックで成長できない理由のひとつは視野狭窄と頑固さであることが多いということに気づきました。特にそれが顕著に表れるのがサイドボーディングです。
何年もこのゲームをやっていると、デッキの調整過程であるにもかかわらず、数マッチやって気に入ったサイドボードプランに落ち着いてしまい、それに居心地の良さを覚え、盲目的に同じサイドボーディングを何度も何度も繰り返し、次から次へと試合をこなし、構成を変えずにひたすら早く次のゲームをやろうとしてしまいます。
ボロが出てくるのは、ずっと信用してきたプランに期待を裏切られ始めたときです。きっと不運が続いているだけだと思うかもしれません。しかし、ゲーム展開がなぜかいつも同じようなものになっていないでしょうか?だとすれば、そのマッチアップに合っていない戦略を採用している可能性が大いにあります。
《儚い存在》は相手に予測されていなければ、除去を回避して取り返しのつかない決め手になるかもしれません。しかし、もしエレメンタルがメタゲームの一角として周知されているとすれば、その有効性は同じままだと言えるでしょうか?
4色エレメンタル
試合から学び、知見を得たいという場合、試合数をただこなすことが正解とは限りません。数ある選択肢を評価し続けることが重要なのです。気軽にプレイできる試合であれば、積極的にサイドボード戦略を変えてみることで長い目で見たときに非常に意味のあることを見つけられる可能性があります。
よく「サイドインするカードはわかるけど、何をサイドアウトしたら良いかわからない」という台詞を耳にしないでしょうか。そういう場合は、それぞれのカードに目を凝らしてみてください。そのカードは多くの試合展開で優れているでしょうか?それともごくごく限られた状況でだけ?いつだってそのカードは多く引きたいと思いますか?そのカードを多く引くことで勝利に結びついているでしょうか?
気づきを得たいのであれば、確信が持てないカードの枚数を無難に減らすのではなく、全て抜いてみてください。それを抜いてみたら、どれだけそのカードが欲しいと思えたでしょうか?
ラクドス、イゼット、グリクシスのラガバンミッドレンジを相手にしたとき、「想起」と《儚い存在》のシナジーはゲームへの影響度が低く、効果的ではありません。相手は一度に1体しか脅威を並べてこないことがほとんどであるとともに、脆いシナジーだからです。
低マナコストの妨害にもあうでしょう。1マナの除去や手札破壊を前にして、3マナの《発現する浅瀬》や4マナの《創造の座、オムナス》をどう守れというのでしょう。《儚い存在》の1マナを構えられるまで待ちますか?それは毎回できることではないはずです。
また、ラガバンデッキとの対戦でどうやって負けているかを考えてみると、マナフラッドが大きな敗因となっています。《儚い存在》はほかのカードありきの呪文です。そのため、マナフラッドにつながります。
あまりにも回りくどいプレイしていれば《儚い存在》自体が手札破壊されるでしょうし、もっと最悪なのは「明滅」させたかった脅威を手札破壊されて《儚い存在》だけがただ無意味に1枚残ってしまうことです。まれに相手の除去を出し抜いてカードアドバンテージを得られるとしても、ここまでのデメリットを上回るだけの価値があると言えるでしょうか?
現実を見るとともに、これまでの論理を踏まえれば、《儚い存在》がサイド後に残して弱いカードの部類であるのは間違いありません。今でこそこれは明々白々な結論ですが、最初からわかっていたわけではありませんでした。
繰り返すようですが、ここから得られた教訓は単に赤系のミッドレンジに対して《儚い存在》を抜くということだけではありません。最初からこの発想に対してオープンになるべきであり、実際に試してみるべきだったのです。
しかし実際は、2か月の間あれだけエレメンタルを配信で回していたにもかかわらず、この戦略を決して試すことはなく、ただただ不完全なサイドボードプランをひたすら使い、なぜこんなにもマナフラッドするのかと疑問に思うばかりだったのです。
サイドボードガイドを読んでいて「絶対に抜くな」と書いてあったら、みなさんも私も立ち止まって考えてみるべきです。それは本当に?と。
デッキは単なるカードの寄せ集めにせず、できるだけ噛み合った60枚で一貫性のあるデッキをサイド後も構築する。これは何度伝えても良いほどサイドボーディングにおいてもっとも重要なことですが、今回の内容はそれとは少し話がそれます。
経験則や自動的な思考は便利なツールではあるものの、視野を狭めてはなりません。その落とし穴にはまらないようにするには、そのデッキを積極的に使っているプレイヤーとサイドボードプランについて継続的に議論を交わすことが有効です。異なる視点は大きな価値があります。
私の場合は、サイドボーディングに関する私なりの理屈を言語化することで、プランの歪さや欠陥に気づけることがあります。自分自身の考えに挑んでみること、そしてなにより大切なのは「それはなぜ?」と自分に問い続けることです。それこそが成長するためのただ一つの道なのです。たまにサボりたくなっちゃいますけどね!