目的地まで
さて前回の最後から続いて、ただいま赤道直下、パナマシティなるところに今まさに降り立たんとしているところ。機内も高度が低下するにつれ、心なしか熱くなってきました。お、あれがかの有名なパナマ運河かな。
しかしここにいたるまでえらく苦労したな……ちょっと近日中の動きを早回しで回想すると。
災難続きの回想シーン
プロツアー後の月曜日、例のチョコレートで大変しょっぱくなってしまったところに荷造りをしていたら……
かばんが壊れる。
まあこれだけなら、そのかばんさんを手荷物にして拠点のベガスに置いていけば問題はありません。ですが、
ついでにパソコンが壊れる。
いつものとおりパソコンを酷使していると、いきなり騒音と異常振動がががが。どうもファンが破損したか埃をまきこんだか、でも我慢しているうちに、このキーボードから伝わってくるバイブレーションがニルヴァーナへと……
はい、連れていってくれるわけがありませんね。音もうるさければ、振動も不快。そもそも人がいるところではとても迷惑。そんな事情で残念ながら今回の記事、締め切りをちょっと伸ばしてくれないかなあとプロツアーに来ていた “まつがん” (伊藤 敦) に現物を見せつつ直談判しようとしたら、
急にお直りになりあそばされましたよ、このPC様。
その上まつがんが去ると即不具合がぶり返す主人思いっぷり。それでも飛行機の中なら不快さを我慢すれば辛うじて使えなくもないかなとやむなく妥協したところで、これでようやく災難は終わりかと思えば、
デンバーで強制的に1泊。
ナッシュビルからデンバー、ベガスへと向かうはずだったスケジュールが機材のトラブルにより出発から大幅に遅延、おかげでデンバーに到着したときには手遅れで1泊せざるをえず。しかも翌朝はフライトが昼過ぎからしかないらしく、ベガスに着いたと思ったら翌朝にはもう機上の人という慌ただしさ。
どうせ私のことだから日程が近づくにつれ「チリにまでグランプリ出に行きたくない」的な気分が全開になってるだろうしと、奮発してビジネスクラスをマイレージで (ただし行きだけ) 取っていたのはグッジョブと言わざるをえません。
偉いぞ、過去の私……
かと思いきや、朝も早くから気分を新たにチェックインカウンターに向かってみると、
空港係員「ビザないと飛行機乗れないから」
えっ。
一度だけそういうミスでブラジルに行けなかったことがあって以来、南米行きの際にはビザが必要か事前に必ずチェックすることにしていますから、そんなことはないはず。
日本外務省のホームページで確認した上で「さすがにそれはおかしい」と抗議すると、
空港係員「あ、入力間違えてたわ」
……ヘラヘラしている職員のおばちゃんの両足をひっ掴んでジャイアントスイングくらいはしたくなる衝動を堪えるのに少々の忍耐が必要でした。やはり人間、諸々の負荷がかかると色々とよろしくないですね。
で、そんな慌ただしい経緯を経て冒頭に戻るわけですが、降り立ったパナマを一足飛びして、ようやくチリの首都サンチアゴへ到着。アメリカからパナマまで6時間、パナマからチリまで6時間の合計12時間。ずいぶん遠くまで来てしまったものだ。
ここからさらに5時間かけて太平洋をもう90度ほどまわるのですが、ちょっとした野暮用でこの地に2、3日ほど滞在した後、いよいよこの旅の目的地へ出発です。
そもそもの発端
3月のグランプリ・静岡2017春前にフランク・カースティンを東京の我が家に招待したときのことでした。
カースティン「次のプロツアーにカバレージで行くのだけど、ヨーロッパからだとアメリカ往復にチリ行きを付けても同じ値段なんだよね。で、そこからはだいたい往復で400ドルくらい。興味ある?」
ほーほー、なるほどなるほど。ということで調べてみましたが残念ながら日本からはそんな都合の良いチケットはなく、ナッシュビルからチリの往復を見てみると1300ドルオーバー。結局、そのときは興味はあるけどコストが高すぎるので断ることに。
転機が訪れたのはその2週間後くらい。1ヶ月ほどベガスに滞在しながらマーティン・ジュザとチームGPに連戦していたときのことです。
ジュザ「プロツアーのチケット、チリまで付けても予算内におさまるから行ってみようよ」
おや、何処かで聞いたなその話、と詳しい話を聞いてみると出処はだいたい同じ。チケットの構造を聞くと、どうもデルタ航空がヨーロッパからチリ行きの便を飛ばそうとするとアメリカでの乗り継ぎが必要なのを利用して、途中降機でナッシュビルに立ち寄るといった形のチケットが取れるみたいです。カースティンプランと違うのはジュザがプロツアー直後から、カースティンがその翌週から出発というところ。
ともあれ選択肢が広くなれば私としてもやりようはあります。例えばプロツアー後に1ヶ月ほどベガスに滞在することにした場合、それこそベガスからチリまでの航空券を探してみてはどうか。前回はただ単にナッシュビルからチリ往復なり、プロツアー航空券に組み合わせる形でしか探していなかったのでこちらのルートなら……。
ふむ、ベガス – チリが1000ドル弱。でもこの航空会社ならマイレージが使えるな。あ、これなら足りる。ついでにどうせ (以下省略) なのだから行きは奮発するとして、後はチリからの航空券だな。
こっちの方でもう少し難航してしまい、結局ジュザと同じ便ではチケットが高くなりすぎてしまったのでカースティンプランに。それでも帰りの便を彼らの日程に合わせようとするとこの時点で1000ドルを超えてしまっていたので、更に調整を加えて月曜日出発、金曜日帰りの4泊5日に。これなら600ドル。ちょっと先走ってベガス – チリの往復便を先に取ってしまっていたので、その変更手数料で150ドル。宿代等々でもう300ドル。
ま、支払いが1000ドルならば良いでしょう。
以上が経緯。ということで、ちょっとイースター島まで来てみました。
イースター島観光と今回のパーティー
とは言っても残念ながら到着時間は深夜。飛行機から降りたった我々が当日にやることと言えば、せいぜいタラップ直後で待ち構えている事務所で国立公園入場料80米ドルを支払い、預け入れ荷物を回収して、ホテルにチェックインをするくらい。泥のように眠って、朝食をいただき飼い犬と戯れてからがミステリーハントの時間。夜のチェックイン時に頼んでおいた車も用意されてますし、絶好のドライブ日和です。
あ、そういえば今回のメンバーを紹介してませんでしたね。
フランク・カースティン / Frank Karsten
博士号持ち。数字なら任せろ。あとかなり可愛いもの好きだぞ。今回の発起人であり、旅行プラン立案者。それを良いことに今回、全部任せっきりのおんぶにだっこさせてもらっています。
オンドレイ・ストラスキー / Ondrej Strasky
もうちょっとで22歳な運転担当。車の免許を取ったばかりでちょっとどころじゃなく不安。でも残念、私はマニュアルをかれこれ10年は運転していないので君の役目だ。プラハにある、シフカハウスにイヴァンとペトルの4人でルームシェアをしているらしい。ちなみに好きな日本人プレイヤーは山本 賢太郎。
そして……。
ペトル・ソフーレク / Petr Sochurek
おお、ペトルよ。たどりつけないとはなさけない。
哀れ、ペトル君がそろそろイースター島行きの航空券を取ろうと思ったときには完全に売り切れていて八方塞がりだったらしいのです。予定のフライトを1週間早めてチェコへと帰らないといけなくなってしまいました。そればかりか、オンドレイ情報によると家にたどり着いて即病気で寝込んでしまったとのこと。重ね重ね哀れ。
そんなこんなの3人パーティー。オンドレイが開幕エンストしながらもいよいよ出発です。
イースター島簡易案内
ものすごく簡単に言ってしまうと左端のちょっと道が多いところが市街地で、残り全てが国立公園。空港から先は舗装されてたりされなかったりする道路以外は右も左もひたすら草原が続きます。気候が年中通して20度以上、日差しの強さ、太平洋に浮かぶ孤島、地名というかそもそも同じポリネシア系というのもあってか、印象としてはちょうど去年に行ったホノルル以外のハワイに近いものがありますね。赤道を挟んで真南の地点でもありますし、そりゃそうか。
ウィキペディアか何かの記述で3メートル以上の高木が存在しないとか書いていた気がしますが、そんなことはありませんね。森とまではいきませんが、林と呼んで良いくらいの木の集合も見ることができますし、トロピカルっぽいヤシなんかも見ることができます。全周は車で2時間もあれば、といった感じでしょうか。2~3日もあれば全土を見て回れそうですね。
それと馬&牛。レンタカーを借りるときに馬と牛を轢かないようにね、と注意されましたが。たしかに国立公園のそこら中にいるわいるわ。時折車道を占拠していたりして、オンドレイがとても良い顔してました。あと馬糞だらけ。本当に笑えるくらいあちらこちらにあります。
まず最初に訪れたのは、島の中央寄りにあるアフアキヴィ。駐車場らしきところに車を停め、入り口にいる監視員に空港で受け取った領収書を提示。そういえば島内は風が結構強いので、必ず手渡しで受け取ったのを確認するようにと注意されましたね。なにやらスタンプを押されて塀を越えると、お、あれは。
まごうことなきモアイ像が海を見つめて鎮座してますね。せっかくなので接近してみようと試みるも……。
ちょっと遠すぎるかな。ここから先、進入禁止という線が敷かれているのですが、もうちょっと臨場感が欲しいです。
というわけでネクスト・モアイスポットに向かいます。カースティン曰く、本当にそこらじゅうにモアイはあるので、次はビーチ&モアイに行ってみようということです。
来た道を少し戻って島の北側まで。断崖絶壁ばかりのイースター島では珍しいアナケナビーチへ。
海と浜とモアイ。良いですね。進入禁止が死体蹴り禁止に見えてしまって、1人で笑ってたのを不審がられましたがこのロケーションはさっきより断然良い。先ほどとは逆に砂浜に背を向けるモアイ達。
ついでにどこからか着いてきた犬も一緒に撮影してみたり
お次はテピタクラ。島内で最大のモアイ像があるらしいのですが……。
うん、倒れているとモアイなのかどうかさっぱり分かりませんね。物の本曰く、全てのモアイ像は過去に倒されていて現在立っているのは近代になって立て直したものとのこと。
倒壊した状態で、しかもくびれたところから3つに割れてしまったモアイなんかがあまりにも普通に転がっていたりするので、逆にこの石っぽいのがもしかしたらモアイなのかなと思ってしまうこともあったり。
更に我々は先を進み、島の最奥、アフ・トンガリキへ。谷を超えた先にある入り江のような場所ですね。
島内最大、15体のモアイ像が整列しているスポットで馬糞を避けながら大撮影会。
日本語で書かれた顕彰碑なんかも見つけて、在りし日のジャパンの名残などを垣間見ていたのですが、ここでカースティンがちょっとした豆知識を。
カースティン「島内にあるモアイは全て一箇所で作られてるんだけど、それはどこだと思う?」
カースティン「実はあの山からなのさ」
ということで、次の目的地は全てのモアイの里ラノアララク。とは言っても文明の利器、車の力を借りればせいぜい10分くらい。お、目的地に近づくにつれ何か見えてきましたね。
中腹がそのままハイキングコースになっていて右も左もモアイだらけ。まるでモアイがにょきにょき生えているような光景があったり、本当に製作途中に放棄されたものがあったり。
ところでこのモアイ、山を登っていくと一番最初に遭遇する中々立派なものなのですが、イェルガー・ヴィーガーズマに似てませんか?
イェルガー・ヴィーガーズマ / Jelger Wiegersma
ここから見るトンガリキも中々に壮観。
そしてこのハイキングコースには、もう1つお楽しみがあります。最初の分かれ道を逆側に行くと……、
旧火口、クレーターの内側に入ることができるのです。ベンチがあって涼んでいると、遠くに野モアイらしきものが見えたり。
おっと、そろそろ日が落ちる時間帯のようです。市街地エリアに夕陽をバックにモアイが撮れる絶好のスポットがあるというので、向かってみましょう。
市街地エリア
車がたくさん行き交って運転するのが怖いと怯えるオンドレイを応援しつつ、市街地の浜辺サイド、タハイに行ってみると、ちょうど良いですね。そろそろ落ちようとする太陽にそびえるモアイ像が。やはりみな同じことを考えるのでしょうね。結構な人が座り込んでシャッターチャンスを狙っています。
ほんとうに何もない国立公園エリアに比べて、市街地は規模こそ小さいものの考えつく限り都市型の生活を送るのに必要なものは充実しています。不便を感じたのはホテルに備え付けられているWi-Fiの弱さくらいでしょうか。これには書き上げた記事を送りたいオンドレイが難儀していました。
しかしながら、まさかついノリで言った “日本人が作った日本食を食べたい” が本当に実現するとは思いませんでした。もっとも1軒目に関しては、半年前に当局から建物の立ち退き命令を受けて現在新店舗建造中なる日本語で書かれた張り紙がしてありましたけど。
それとこれは余談ですが、サンチアゴの物価から見ればおおよそ3倍位ととても高い。ですがアメリカの物価あたりから見るとだいたい同じくらい。この構図、アンコールワットとかマチュピチュと同じ印象ですね。観光客がベースになっているので、彼らが普通と感じるくらいの金額まで物やサービスの値段も上がってしまうようです。
もちろん、そんな中でちょっとでもお安くすませようと思ってしまうとそれはもう悲しいクオリティに。山小屋で食べるカレーなんかを思い浮かべていただければ分かりやすいかと思いますが、そこから特別な場所にいる感をなくしたようなタコスが出てくるわけです。お目当ての店がだめだったから仕方なしに、ではありますが。
今回はそんな反省を踏まえ、島でも中々にラグジュアリーな浜辺に佇むカースティン・セレクトのお店に。
本土だったら一食分ほどに相当するお値段のトロピカルグァヴァジュースに……
特産の魚ステーキ、海藻練り込みバターにレモンリゾット添。
いや、感動しました。
魚をステーキでいただくというのは中々お目にかかれませんが、外はこんがり中はレア、だけどたたきとはまた違った食感。ついカースティンには8/10点と辛口の評価をしてしまいましたが、9点をあげてもよかったな。思い出すだけでまた食べたくなりました。
ちなみに3人合計で1万円ほど。なぜ私が合計額を知っているかと、誰が支払ったかは聞かないでください。
南の火口とオロンゴ
イースター島の人口は6000人ほど、モアイは900体。たぶんその中間にいそうなのが牛と馬、そして犬ですね。市街地エリアはもちろんのこと、それこそ国立公園の中にも。人がいるところには必ずと言っていいほど犬がいます。しかもとても行儀が良い。
例えば私達が物を食べてるときとかでも露骨にくださいアピールをしてきませんし、つかず離れずとても良い距離感で寄り添ってくれる (くる?) んです。毛づやも野良犬というにはかなりきれい。とは言いつつも首輪をしている犬は稀ですし、ほとんど放し飼いのような感じで共同で飼っているんでしょうか。
そんな話をカースティンにしようとして1つの疑問が。そういえば「野良犬」、あと「狂犬病」って英語でなんていうんだろう。「《わいるどどっく》?」「《まっどどっく》?」
カースティン「それ、ストレイドック (stray dog) のこと?」
また1つ賢くなってしまいました。ちなみに狂犬病は辞書によるとラビッド (rabid) というみたいです。
昨日は行けなかった南側の旧火口、ラノカウへの途上でせっかくだし中腹から町並みを写真を撮ろうと休憩していると、
降りてくる自転車と、わんわん2体がコンパニオンしてますね。あ、わんわんだけ戻ってきた。彼らを振り切って頂上まで行ってみると、いや、すごい景色です。
かなり人工物の方が好きな私でも、地球の裏側からここまで来る価値があったな、なんて思っていると……。
パーティーがまた増えました。
今回の2体は中々強者ですね。まるで道案内とばかりに菜の花畑の道なき道を先導してくれてます。方向からしてたぶん行き先は私達が行こうとしているところ。車道から戻ってももちろんいけますが、せっかくですし彼らに従って歩くこと15分あまり、ここがオロンゴのようです。
おう、遅かったじゃねーか
オロンゴとは、正確にはこの先にある小島のこと。遥か昔には標高差200メートルもあるこの地点から崖を駆け下りて海にダイブした挙句、1キロ先のあの小島まで泳いで行き、おまけに親鳥の妨害に耐えつつ1番に卵を持ち帰る = つまりもう1キロ泳いで崖登りをする、なんて儀式をやっていたとか。
オンドレイと文明人に生まれて良かったと安堵したのは言うまでもありません。あ、でも日本でも西宮神社というところで新年に男3000人くらいで1位以外に意味がない短距離走やってるよと伝えたら、微笑みながら日本人はクレイジーなの?って言ってましたね。
外から見た神事とはそんなものなのかも。
これで島内スポット全て見て回ったことになるのかな。お疲れさまでした、ということで今宵は海の近くのレストランで乾杯。からの明かり1つない夜の国立公園で、満天の夜空を男3人で天体観測なんてことをやっていたり。
男3人で。
そんなこんなで
気がつけばイースター島最終日。最後にトンガリキの朝焼けモアイをカメラにおさめて。
そういえばタハイのモアイにももう一度行ってみたいなと向かってみると、なんでしょう、死んだ魚の目?のようなモアイ像を発見。
というかこれがもともとのモアイ像らしいです。モアイといえばイェルガー (仮) みたいなイメージでしたが、本来はこんなにかわいい顔だったんですね。
なんてことを考えていたらもう飛行機の時間。最後にあの魚ステーキを再びと思ってたのですが、残念ながらそこまでの余裕はありませんでした。
到着直後はすぐに見るものがなくなってしまうのではないかと心配していたものの、こうやって飛行機に乗り込むころになると名残惜しくなってしまうのはそういう性質なんでしょうかね。
さて、次はどこに行きましょうか。
あ、グランプリ・サンチアゴ2017は開幕3連敗してイラッとしてドロップしました。
中村 修平
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