61枚の合理性

伊藤 敦


 マジック:ザ・ギャザリングは確率のゲームだ。

 マリガン判断からプレイングに至るまで、プレイヤーはその時々の公開情報と非公開情報の状況に照らし、いかなる選択肢をとるのが確率的に最良かをもって、行動を選択する。

 マリガンするべきか否か、フェッチランドを起動するかどうか、アタックすべきかどうか、除去を撃つべきかどうか。ゲームのありとあらゆるシチュエーションにおいて確率は選択のための重要な指標の1つであり、とりわけ勝利を至上命題とするプロフェッショナルであればあるほど、確率の軛から逃れることはできない。

 あるいはできないと、そう考えられていた・・・・・・・

 だが。

 そのおよそ絶対的と思われていた信仰を、根底から揺るがしかねないような事態が起こってしまった。

 つい先日開催されたスタンダードの【グランプリ上海】において。

 プラチナレベルプロ・市川 ユウキが全世界を驚かせた、常識外の構築

 彼を優勝に導いたそのデッキは、メインボードが61枚で構築されていたのだ。



市川 ユウキ「アブザンコントロール」
グランプリ上海15(優勝)

2 《森》
2 《平地》
4 《吹きさらしの荒野》
4 《砂草原の城塞》
4 《疾病の神殿》
3 《静寂の神殿》
4 《ラノワールの荒原》
1 《ヨーグモスの墳墓、アーボーグ》

-土地(24)-

4 《サテュロスの道探し》
4 《棲み家の防御者》
4 《クルフィックスの狩猟者》
4 《死霧の猛禽》
4 《包囲サイ》
2 《黄金牙、タシグル》

-クリーチャー(22)-
4 《思考囲い》
4 《アブザンの魔除け》
2 《英雄の破滅》
2 《命運の核心》
3 《太陽の勇者、エルズペス》

-呪文(15)-
3 《アラシンの僧侶》
3 《究極の価格》
3 《悲哀まみれ》
2 《ドロモカの命令》
2 《世界を目覚めさせる者、ニッサ》
1 《強迫》
1 《真面目な訪問者、ソリン》

-サイドボード(15)-
hareruya




 この事実を、我々はどう受け止めるべきか。

 プロレベルのマジックは、いつの間にか全く新しいステージに到達したのだろうか?

 それとも市川の気まぐれが、今回たまたま神様のご機嫌をとったということなのだろうか。

 それを知るために。どうやら根本の疑問について、改めて問い直さなければならないようだ。

 すなわち、61枚でデッキを組むことは、本当に正しいことなのか?

 今回はこの問いについて考察していこう。



■ 1. 61枚以上の歴史

 実はトーナメントシーンに61枚デッキが登場したのは、今回が初めてというわけでもない。

 マジックの長い歴史の中には、60枚の枠をはみ出たデッキが活躍した例がいくつも存在する。



小室 修「赤白サイクリング」
グランプリ横浜03(優勝)

9 《山》
8 《平地》
4 《隔離されたステップ》
4 《忘れられた洞窟》
2 《邪神の寺院》
1 《大闘技場》

-土地(28)-

4 《銀騎士》
3 《賛美されし天使》
4 《永遠のドラゴン》
2 《怒りの天使アクローマ》

-クリーチャー(13)-
4 《星の嵐》
3 《翼の破片》
1 《正義の命令》
4 《アクローマの復讐》
2 《滅殺の命令》
4 《稲妻の裂け目》
2 《霊体の地滑り》

-呪文(20)-
4 《ショック》
3 《窯口のドラゴン》
3 《拭い去り》
3 《炭化》
2 《奉納》

-サイドボード(15)-
hareruya


 【2003年のグランプリ横浜】で優勝したこのデッキは、当時どうしてもトークンを出したかった小室 修がグランプリ当日に《正義の命令》を1枚デッキに入れることを決意し、代わりに抜くカードが思いつかなかったために61枚のまま実現したものだ。




藤田 修「スタックス」
世界選手権07(4-1)

3 《平地》
2 《Tundra》
4 《トロウケアの敷石》
1 《古えの居住地》
4 《古えの墳墓》
4 《裏切り者の都》
3 《不毛の大地》
3 《黄塵地帯》
1 《ミシュラの工廠》
1 《アカデミーの廃墟》

-土地(26)-


-クリーチャー(0)-
4 《悟りの教示者》
4 《ハルマゲドン》
3 《戦の惨害》
4 《亡霊の牢獄》
3 《プロパガンダ》
1 《ペンドレルの霧》
4 《モックス・ダイアモンド》
1 《真髄の針》
2 《発展のタリスマン》
4 《三なる宝球》
4 《世界のるつぼ》
1 《煙突》

-呪文(35)-
4 《虚空の力線》
3 《賛美されし天使》
2 《幕屋の大魔術師》
2 《真髄の針》
1 《法の定め》
1 《沈黙のオーラ》
1 《法の領域》
1 《The Tabernacle at Pendrell Vale》

-サイドボード(15)-
hareruya


 【世界選手権07】のレガシーラウンドで”シルバーコレクター” 藤田 修が使用し好成績を残したこのデッキも61枚だ。




Gabriel Nassif「クイッケントースト」
プロツアー京都09(優勝)

3 《島》
4 《反射池》
4 《鮮烈な小川》
3 《鮮烈な湿地》
2 《鮮烈な草地》
2 《鮮烈な岩山》
4 《沈んだ廃墟》
2 《滝の断崖》
1 《秘教の門》
2 《風変わりな果樹園》

-土地(27)-

3 《羽毛覆い》
3 《崇敬の壁》
4 《熟考漂い》
3 《若き群れのドラゴン》

-クリーチャー(13)-
4 《砕けた野望》
4 《謎めいた命令》
1 《天界の粛清》
1 《恐怖》
4 《火山の流弾》
4 《エスパーの魔除け》
2 《残酷な根本原理》
1 《真髄の針》

-呪文(21)-
4 《遁走の王笏》
2 《否認》
2 《蔓延》
2 《神の怒り》
2 《噛み付く突風、ウィドウェン》
1 《天界の粛清》
1 《霊魂放逐》
1 《薄れ馬》

-サイドボード(15)-
hareruya


 【青白GAPPO】の活躍(?)が印象的だった【プロツアー京都09】の優勝デッキも、実は61枚だった。あのGabriel Nassifですら、61枚でプロツアーに出場したことがあるのだ。




三原 槙仁「ヴァラクート」
グランプリ神戸11(準優勝)

7 《山》
2 《島》
1 《森》
1 《平地》
1 《つぶやき林》
4 《霧深い雨林》
4 《海辺の城塞》
3 《溢れかえる果樹園》
1 《火の灯る茂み》
4 《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》

-土地(28)-

4 《ムル・ダヤの巫女》

-クリーチャー(4)-
4 《定業》
4 《不屈の自然》
4 《探検》
4 《魔力変》
4 《戦争門》
4 《風景の変容》
4 《謎めいた命令》
4 《虹色の前兆》

-呪文(32)-
3 《絡み線の壁》
2 《クァーサルの群れ魔道士》
2 《難問の鎮め屋》
2 《ヴェンディリオン三人衆》
2 《紅蓮地獄》
2 《炎渦竜巻》
2 《引き裂く突風》

-サイドボード(15)-
hareruya


 エクステンデッドの【グランプリ神戸11】では、殿堂プレイヤー・三原 槙仁64枚のデッキで準優勝して話題をさらった。



 このように、既にプロシーンでは61枚デッキの実例はいくつも存在している。

 しかし、にもかかわらず。

 我々の内なる声は、頑なにそれを「ナンセンスだ」と批判したがる。勝利を目指す健全なデッキは60枚であるべきだ、と。

 それは一体、なぜなのだろうか。



■ 2. なぜ60枚でデッキを組むのか?

 その理由は冒頭で述べたとおり、ひとえにマジック:ザ・ギャザリングが確率のゲームであることに帰着する。

 例えば、「デッキに特定のカードを4枚入れる」という行いは、「ゲーム中にその特定のカードが登場する確率を最大化したい」という意思の表れだ。

 だが、同じように特定のカードが4枚積みのデッキでも、デッキの総枚数を60枚から思いきって100枚にすると、何が起こるか。

 60分の4が100分の4になる。ということはつまり。

 せっかく4枚入れたカードも、ゲームに登場する確率が減ってしまうのだ。


・読み飛ばしてもいい部分

 具体的に考えてみよう。

 スタンダードのゲームは6ターン目にはゲームの大体の趨勢が決まっている。6ターン目ということは、マリガンなし・追加ドローなしと仮定すると先手なら最低12枚、後手なら最低13枚のカードを見ている計算になる。

 ここで、60枚デッキに4枚入っているカードの、13枚見たときの期待値は13×(4/60)で約0.87枚。どちらかといえば、6ターン目までに1枚は引ける寄りだ。

 対して100枚デッキの場合、4枚入っているカードでも13枚見た時点では期待値は13×(4/100)で0.52枚にまで落ちる。これだと1枚引けるかどうかもギャンブルになってしまう。

 このようにライブラリーの枚数を増やす行為は通常、n枚見たときに特定のカードが見つかる期待値を減らす行いである、と一般的に言える。



 そして、このことは61枚の場合でも変わらない。60枚のときを基準にするなら、たとえわずかだとしても「特定のカードがゲームに登場する確率」を下げていることに変わりはない。

 そしてプロプレイヤーなら、お互い「特定のカードがゲームに登場する確率」について最大限の努力をするという前提の上で戦っているはずである。ここでいう「特定のカードがゲームに登場する確率」とはすなわち、勝率に直結するところのものだからだ。

 2枚目の《包囲サイ》をトップデッキするかどうか。

 2ターン目の「占術」で《悲哀まみれ》が見つかるかどうか。

 それらの「トップデッキ」は、突き詰めれば確率の産物でしかない。

 ゆえに我々は60枚でデッキを構築する。そして、それだからこそ。

 61枚のデッキを見たとき、人は「当然なすべき勝利への努力を怠っている」と感じる。

 一方でカードを4枚入れ、確率を最大化したいという意思を見せておきながら、他方でたった1枚を削る努力を怠り、確率に対して妥協する。その一貫性のなさを、許せないと思うのだろう。



 だがしかし、本当にそうなのだろうか?

 というのはつまり、61枚でトーナメントに出る彼らは本当に、「勝利への努力を怠っている」のだろうか。



■ 3. 神のデッキと人のデッキ

 ここで、極めて難しい問題が出てくる。

 すなわち。【『あのクソ』の第2回】でも触れたテーマではあるが。

 本来評価の対象として、客観的なデッキの完成度と主観的な調整の限界度とは異なるのではないか、ということだ。

 この疑問に答えるためには、61枚デッキというものが発生するメカニズムを解き明かす必要がある。

 人はどうして61枚デッキを作ってしまうのか?

 それは抜くべきカードが適切に判断できないからだ。

 環境に存在するデッキと、自らが参加するトーナメントで勝ちあがりそうなデッキに照らし、「正しい60枚」「あるべき60枚」はその一時点において決定できるかもしれない。

 だが、それは神の視点での話だ。

 対し、プレイヤーは完全な情報を持ちえないし、たとえ多くの情報に基づいたとしても、完璧な判断を下すことは難しい。それはプロであっても変わらない。

 何より、調整には時間的限界がある



 そんなとき。指運に任せて1枚を抜き60枚のデッキで大会に出るよりも61枚のままで出る方が、間違ったカードを抜いてしまうリスクをケアするという観点からすれば正解となりうるのだ。

 これについては、この間の【プロツアー『タルキール龍紀伝』】でトップ8に入った、らっしゅが大好きなAdrian Sullivan先生も、【記事の中で同趣旨のことを述べたことがある】(ただし、61枚目を抜くのが本当に難しい場合に限定しているが)。

 61枚のデッキは確かに未完成かもしれない。

 もし神がいて、【グランプリ上海】に出場した市川 ユウキのデッキを採点したとしたら、61枚だというだけで赤点必至だろう。

 だが、それでも。あの時点での市川の選択としては、61枚であることがむしろ100点満点の、合理的な選択だったと評価できる。

 神のデッキと人のデッキは違うのだ。



■ 4. 61枚の合理性

 そのデッキの正しさと、そのプレイヤーの合理性を混同するべきではない。

 61枚のアブザンコントロールはナンセンスだとしても、61枚で大会に出場するプレイヤーが合理的でないとは誰にも言えないのだ。

 誰だって自分のデッキについて「あのカード2枚で良かったのかな」とか「サイドボードがまだ怪しいな」とか思いながらも1回戦に臨んでいたり、大会が終わってから「この部分、別のカードの方が良かったな」と思うことがあるだろう。

 61枚デッキで大会に出ることも、実はそれと何ら変わらない。神たる視点で不完全であることが、61枚であるが故により明確であるというだけに過ぎない。

 61枚のデッキを批判すること自体は簡単だ。

 しかし、61枚を正しく60枚にすること・・・・・・・・・・・・・は、実は極めて難しい。

 結論として。61枚でデッキを組むことは、おそらく数学的に正しくはないのだろう。

 だが一方で、61枚で組まれたデッキの裏には、そう組まなければならなかっただけの合理性があることが多い。

 何故ならそのデッキの製作者にとっては、限られた時間の中にあって、61枚でデッキを組むことこそが最も高い勝率を実現できる選択肢だったはずだからだ。

 もしあなたが61枚のデッキを見かけて、その活躍や失敗に言及するときは。

 そんな61枚の合理性に思いを巡らせてみて欲しい。



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