Translated by Nobukazu Kato
(掲載日 2019/09/18)
プロを目指すあなたへ
みなさんおはよう。みなさんはマジックのプロがどのようなものかを考えたことがあるだろうか?小さな国で大きな夢しか持ち合わせていない平凡な人間が、地元のゲームショップのカジュアルプレイからマジックの世界最高峰にたどり着くには何をすれば良いのだろうか?みなさんが持つ最大級の情熱が稼ぎの良いフルタイムの仕事になるとはどんな気分なのだろう?
このような想いを抱いているのなら、この記事はあなたにうってつけだ。私はグジェゴジュ”ウルリッチ”コヴァルスキ。そしてこれは私の人生の物語だ。
私の原点
私はポーランド出身。中央/東ヨーロッパでは比較的小さな国である。平均月収がおよそ900ドル(約9万5千円)であるため、昔から私は敷かれたレールから外れようと心がけてきた。小学校を卒業して以来、世間が言う”普通の”フルタイムの仕事ではない方法で生計を立てようと考えてきたのだ。6歳のときにプロサッカークラブに入ったのも、理想に描くゴールキーパーになるためであり、それを一生涯の仕事にするためでもあった。
ところが13年後、私が19歳のときにキャリアの道を閉ざす怪我に突如として見舞われ、私自身のために別の夢を探さなければならなくなった。会社に勤める人間ではなく、人生を自らコントロールしていく人間になるには夢が必要に違いないとわかっていたのだ。私は色々なものを試し、ときにはMMO(大規模多人数型オンライン)などの変わったものに手を伸ばすこともあった。時間をかけてポーカーを学んでプレイしたこともあった。誰かの会社で毎朝7時から働くような事態を避けるためにできることはほぼ何でもしたのだ。
そして幸いにも私はあるものを見つけることができた。当初は取るに足らないひとつの趣味だと思っていた。しかしそれが情熱になり、仕事になり、完全に人生の大きな割合を占めるものになった。ここまで言えばお気づきだろう。私が見つけたものとは、マジック:ザ・ギャザリングだ。
ことのはじまり
全ては中学生のときに始まった。ある日、クラスメイトが雑多にマジックのカードの束を持ってきた。私たちはフォーマットも知らず、ルールも非常に基本的なことしかわからず、知らないことばかりであった。自分たちのルールで遊び、楽しんでいたのだ。しかし私は昔から誰かと競い合う方が性に合っており、それから間もなくして地元のゲームショップへと足を運び、マジックについて教えてもらうことにした。そうしてフライデーナイトマジックやプレリリースに参加し始めるようになった。そこには学校の休憩時間に遊ぶマジックとは格別の楽しさがあり、私は本物のデッキを買い揃えることにした。
当時のポーランドで一番人気だったフォーマットはエクステンデッド。私が選んだのは《等時の王笏》と《オアリムの詠唱》を使ったセプターチャントであった(あのデッキは最高だ!)。地元のゲームショップで知り合った新たな友人たちと共に、初めて故郷以外での大きな大会ーープロツアー予選(PTQ)に参加しに行ったこともあった。
ご想像の通り、私はコテンパンにやられた。しかし、それはそれまでにマジックを通じて得たどの経験よりも素晴らしいものであったのだ。自分と同じ趣味を持つ人が大勢いて、その大会にかかっているものも大きくて、フライデーナイトマジックよりも真剣な勝負があって、ジャッジがついていて、ポーランドのベストプレイヤーが揃っていた。想像を超えるものがそこにはあったのだ。
私はもっとこのような”かかっているものが大きい”大会に出たいと思ったが、まずは次の機会を万全の準備で迎えるべきだとわかっていた。それから人生初の海外遠征に行くことになるまで長い時間を要することはなかった。友人と私はハノーファーで開催されたグランプリに出向き、極上の経験をすることになった。1000人を超えるプレイヤーたちが各国から集まり、私は言語が異なる彼らとコミュニケーションをとることができたのだ!
そして私は幸運にもByeなしからの7-2で2日目に進出した!目に見えていたことではあったが、2日目はPTQと同じように打ちのめされてしまった。明らかに私のレベルが及んでいなかったのだ。しかしそのときの経験は何物にも代えがたいものだった。他国へと旅をし、良き友人と数日を共にする。日帰りのPTQとは比べられないほど素晴らしかった。そしてこのときに私は重要なことに気づくことにもなった。私は大きい大会であるほど楽しめる。マジックは最高だ!と。
先生からの教え その1
プロになりたいのならば、まずはマジックを愛さなければならない。プロになるには練習をしたり、コミュニティとの付き合いをしたり、マジックの記事を読んだりと膨大な時間を要する。心からマジックを楽しめていなければ、いずれは悪夢へと変貌し、目標を達成することは決して叶わない。だから「プロになる」という目標を設定する前に、まずはマジックをプレイすることが自分にとっての幸せなのだと思えるようにしよう。
初のプロツアー(プロツアー名古屋2011)
2011年になり、私はコミュニティ内に多くの知り合いができていた。なかにはマジックのとき以外でも付き合うようになったプレイヤーもいた。親友にさえなった人もいて、今はマジックをプレイしなくなっている人もいるが、今日も彼らとの付き合いは続いている。
私たちはマジックを愛していたから、競技マジックにできる限り参加したいと考えていた。基本的にポーランドのPTQには毎回参加しようとしていたし、近場のグランプリにも行くように心がけた。幸運にも私は地元の予選を優勝することができた。それはプロツアー名古屋2011のPTQであり、1位には航空券も送られた!これなら参加するのは現実的だ!
当時はその旅がどのようなものになるのか想像さえつかなかった。人生で初めてのフライトであり、空港というものを目にしたことがなく、他のプロツアー参加者を誰一人知らず、何をすれば良いのかも全くわからなかったのだ。正確にはひとつだけわかっていたことがある。それは、プロツアーに向けてマジックのスキル向上に全力を尽くすこと。私は故郷の友人たちに協力してもらいながら、およそ2~3週間に渡って毎日欠かさず練習に励んだ。
そして私たちがたどり着いたのは白単《鍛えられた鋼》デッキであった(プロツアーのフォーマットは『ミラディンの傷跡』ブロック構築)。そのリストはルイス・スコット=ヴァーガス/Luis Scott-Vargasのリストとたったの数枚しか違いがない出来だった!Magic Onlineも使わず、大きなプロチームに所属することもなく、外部の助けをもらわずに構築できたのだ!それがどれだけ誇らしいことかを理解してもらうのは難しいかもしれない!
このときに初めてトッド・アンダーソン/Todd Anderson、イヴァン・フロック/Ivan Floch、ピエール・ダジョン/Pierre Dagen、マティア・リッツィ/Mattia Rizziといった強豪と対戦することができた。彼らのなかには当時から有名だった人もいたが、未来の栄光の日々を待つ人もいた。しかしひとつ言えるのは、2011年以降の人生で何度も彼らとは会うことになるということだ!
私の総合成績は初めてのプロツアーにしては悪くないものであった。2日目に進出し、9-7で大会を終え、日本での時間を楽しむことができたのだ。この滞在を通じて私は人生の教訓を得ることができた。ヨーロッパとは趣が異なる全てのものが私にとって魅力的だった。文字通り全てのことだ。文化、日本人のものの考え方、建築、食べ物。誰しもが非常に親切で、手を差し伸べてくれる。私はたちまち日本が大好きになった。
先ほど「今までより大きい大会に出る度にマジックをもっと好きになる」という話をしたのを覚えているだろうか。日本でのプロツアーはこの考えを全く新たな次元へと押し上げた。マジックをしていなければ日本を訪れる機会はなかったと思うが、このときの経験は忘れがたいものとなった。
プロツアーに出場することが簡単でないことはわかっていた。しかし同時に、それが不可能ではないこともわかっていた。一度権利を獲得できたのなら、再び実現することができるのは明らかだ。私は帰国したら再び権利を獲得することに全力を注ごうと自分自身に誓った。これが大きなターニングポイントとなった。
先生からの教え その2
身近なコミュニティに所属しよう。マジックは1対1のゲームであるが、その楽しさの大部分は人との関係から生まれる。地元のコミュニティがなければ、間違いなく私は長期間に渡ってこれほどマジックを楽しむことはなかっただろう。私がこのゲームに身を置くのは、そうさせる人や友人がいるからだ。プロレベルの大会に参加するに当たって別の都市や国に旅行することもある。そういったときに連れ添ってくれる友人たちはかけがけのないものだ。地元のゲームショップにいるプレイヤーたちをリスペクトし、親切にし、一緒に楽しもう!後悔することはないはずである。マジックのコミュニティは最高なのだ!
PTQ行脚と挫折(2011-2013)
私は必ず約束を守ろうとするタイプの人間だ。それは自分自身への約束に対しても同じである。新たな目標を胸に抱き、その実現に向けて私は喜んでハードワークするつもりだった。私たちは地元のプレイヤーたちで調整チームを結成し、友人の家で定期的に調整し始めた。
当時はポーランドのPTQはひとつのプロツアーにつき2回しかなかったため、海外まで参加しに行くこともあった。参加するほぼ全ての大会で、少なくともチームメイトの一人はトップ8に入賞していたため、それが私たちのやる気に火をつけるようになっていた。権利獲得に近しい場所まで来ているとわかっていただけに、そのギャップを埋め、成功したいという思いがあった。
プロツアー名古屋からの2年間で大いに成長したという確信があり、すでにPTQレベルでは優れた部類に属すると信じていた。しかしそれからマジックのキャリアにおいて最も辛いであろう数週間が訪れる。プロツアーの舞台に戻るのが日本から帰国して以来の夢であった。プロツアー『テーロス』予選の時期に入り、参加が現実的であったのは5つのPTQ。ドイツで2回、ポーランドで2回、チェコで1回だ。その全てにおいて参加者はおよそ100人であった。
その予選シーズンを通して、私は愛機であるマルドゥアリストクラッツを使用した。《ボロスの反攻者》と《冒涜の行動》の強烈なシナジーを持つデッキだ。デッキの完成度は高かったため、予選シーズンを心待ちにしていた。最初の3回のPTQは、8位、4位、再び4位という結果であった。4回目はポーランドのクラクフで行われ、私は決勝まで進出。しかし故郷の友人でありチームメイトであるプレイヤーに敗北を喫してしまった。彼は友人であり、彼の成功は本当に喜ばしいものであった。とはいえ、私にとっては夢を打ち砕くものでもあったのだ。
「あと一歩」が立て続けに4回。勝率は85~90%あったのに、未だに権利が獲得できない。このときから全てのことに意味がないのではないかと疑い始めるようになってしまった。私には荷が重いことだったのだ。
しかしまだチャンスは1回ある。まさに1週間後にチェコのプラハで開かれる。私は自分自身に全力を誓うと約束した。だから選択の余地はない。私は友人と車に乗り込み、クラクフと全く同じ75枚を登録し、もう一度のチャンス、最後のチャンスにかけることにした。そして私は勝ち取った。現実ではないように思えた。夢が叶ったのだ。自分のデッキを極めようとしたハードワークが報われた。私は単にプロツアー『テーロス』の出場権利を獲得したのではない。親友と共に参加できるプロツアー『テーロス』の出場権利を獲得したのだ!
先生からの教え その3
決してあきらめないこと。プロになりたいのなら、嬉しいときも悲しいときもある。それはあなただけではなく、誰しもが同じだ。マジックはゲームであり、確率がひとつの重要な要素なのだ。あなたは世界で最高のプレイヤーになる可能性があるし、地元のフライデーナイトマジックで0-2する可能性もある。これを克服する唯一の方法はより良い選手になるためにハードワークし、十分なサンプル数を得るために数をこなすことである。その過程であきらめなければ、遅かれ早かれみなさんにふさわしい結果を得ることができるだろう!
初のポーランド人チームとプロツアー・アトランタ/マドリード(2013-2015)
プロツアーで戦うのは簡単ではない。すでにグランプリには何度も出場していたが、両イベントにおけるプレイヤーの平均レベルには大きな乖離があると感じていた。2013年と2014年は決して素晴らしい出来ではなかった。全体の勝率は及第点であったが、大きな飛躍はなかったのだ。度重なるグランプリ2日目進出、時折獲得するプロツアー出場権利。しかしそれ以上のものはなかった。
しかし、全てが変わったのが2015年だ。私たちはマジックに全力投球できるポーランド人チームを作り上げた。大会の一週間前に一緒に現地入りし、予約したホテルに滞在し、1日1日の多くの時間を調整に費やすのはこのときが初めての経験であった。全員が友人であったため、共に素敵な時間を過ごすこともできた。私のスキルが大きく向上したのは、キャリアを通じてもこのときが最初だったと思う。自分自身の成績に大きな関心があるプレイヤーたちと何度も戦うことができ、これほどまでに準備ができたと思ったのは今までにない感覚であった。本選には参加できないながらも、私のために尽力してくれる人々と行ってきた調整とは趣の異なる経験だった。
チームとして一緒に参加した最初のプロツアーは、プロツアー『ゲートウォッチの誓い』だった。エルドラージの冬と呼ばれた時期であり、大規模なプロチーム以外の人間にとっては最悪の時期のひとつだ。
私たちのチームはエルドラージを考えすらしなかったものの、私は何とか11-5となり、バート・レヴァンドフスキ/Bart Lewandowskiは勝てばトップ8というところまで行った。彼はその最終戦で《集合した中隊》でクリーチャーが1枚も見つけられず、手札の2枚目の《集合した中隊》も《外科的摘出》で追放されてしまい敗北した。それは辛い瞬間であったが、大会そのものでは大きな成功を収めることができたのだ。私たち2人が次のプロツアーへの権利を獲得できたため、チームを再結成し、もう一度挑戦しようと決めた。
4 《森》
1 《島》
1 《窪み渓谷》
4 《進化する未開地》
4 《風切る泥沼》
4 《ラノワールの荒原》
1 《ヤヴィマヤの沿岸》
1 《荒廃した湿原》
-土地 (25)- 4 《森の代言者》
2 《棲み家の防御者》
3 《不屈の追跡者》
2 《巨森の予見者、ニッサ》
2 《ゲトの裏切り者、カリタス》
1 《光り葉の選別者》
2 《龍王シルムガル》
-クリーチャー (16)-
4 《闇の掌握》
2 《究極の価格》
1 《精神背信》
2 《破滅の道》
1 《骨読み》
3 《衰滅》
2 《死の重み》
2 《灯の再覚醒、オブ・ニクシリス》
-呪文 (20)-
次のプロツアー『イニストラードを覆う影』では私たちはオリジナルデッキを作り上げ、チーム全体でそのデッキをプレイした。そのデッキとは、黒緑《龍王シルムガル》だ!対戦相手の誰しもが私たちのデッキを一般的な黒緑ミッドレンジだと思っていたため、《龍王シルムガル》は大きく意表を突く要素であった。実際、私たちの隠し味である《龍王シルムガル》をケアしてプレイする相手は誰もいなかった。できるだけ長い間、戦場に青マナを出さないようにし、“奥義のターン”に幾度となくプレインズウォーカーのコントロールを奪った。
このデッキのおかげで私は12-4で大会を終え、トップ8に一歩届かなかったものの次のプロツアーの権利を獲得したのだ!そしてその日以来私は一度たりとプロツアーの参加を逃すことはなかった!PRONION TEAMの全員が今もマジックをしているわけではないが、この場をお借りして「ありがとう!」と声を大にして伝えたい。みんなは私をプロの世界に押し上げ、長年の夢を叶えるきっかけを与えてくれた人々だ!
先生からの教え その4
同じ夢を持つ人とつながりを持とう!PTQで勝ちたいのなら、PTQでプレイすることに興味がある人とチームを結成すると良い。これはグランプリやプロツアーでも同じだ。他のプレイヤーと目標を共有することは、例外なく役に立つ。仲間はあなたのモチベーションを高め、最終結果に関心が薄い人よりもハードワークする。
Cabin Crew(2016-2017)
グランプリで好成績を何度か収めた後、何とかゴールドレベルに到達した。当時ではプロのステータスとして2番目に高いものだ。そのおかげで、当時友人になったばかりのペトル・ソフーレク/Petr Sochurekから驚きのメッセージをもらうことになった。彼は「やぁ。プロツアー『異界月』に向けてCabin Crewと一緒に調整してみない?」と尋ねてきたのだ。信じられなかった。当時のヨーロッパではEUrekaに次いで2番目に強力なチームのひとつだった。プロツアーのカバレージでしか見たことがなかったプレイヤーが多く所属していて、マーティン・ジュザ/Martin Juzaに率いられていたチームだ。マーティンは私がプロプレイヤーに憧れていた理由そのものだった。彼は私の存在すら知らなかっただろうが、自身のソーシャルメディアを通じて“play the game, see the world”というライフスタイルを我々に示し続けてくれた人物なのだ。
ペトル・ソフーレクとマーティン・ジュザ
私は注目を浴びようとは決して思わなかった内気な人間であり、ペトルからのオファーにたじろいでしまった。わかっていたのは、これが素晴らしいチャンスであり、断れば二度と巡ってこない機会かもしれないということだった。しかしチーム内で知っている人がペトルしかいないのに、ただマジックをプレイするために一人で海外に行くのか?ヨーロッパの強豪がそこにはいる。彼らと調整するだけの力量が私にはあるのだろうか?多くの疑念が私の心に忍び込んできた。今となってはこのような疑念が愚かなものばかりであると思えるが、あの頃はどうすべきかがわからなかったのだ。
ありがたいことに、当時の私はそのオファーを受け入れ、偉大なプレイヤーたちと巡り合い、今日まで続く親しい仲を築くこともできた。想像に難くないだろうが、このときの経験も素晴らしいものとなり、彼らから多くのことを学べたのだ。調整過程は以前に行っていたものとは異なるものであった。参加者が多く、卓を作ってドラフトをするのだ。
本番の2週間以上前に集まったため、あらゆることに時間のゆとりを持つことができた。一風変わったオリジナルデッキや一般的ではないドラフト戦略など、試したいことのほぼ全てを試した。これら全てが、チェコの山中にあるマーティンの巨大な家、文明から遠く離れた場所で行われた。
そして本番を終え、大会の結果という点では納得がいくものではないように思えた。私はいつも偉業を成し遂げるのにあと一歩のところで止まってしまうのだ(ペトルにグジェゴジュ・”いつもプロツアーで5敗の”・コヴァルスキと呼ばれたこともあった)。パフォーマンスは非常に安定しているものの、またもや大きな飛躍を遂げることは叶わなかった。プレイヤーとして成長を重ねてきていることはわかっていたため、不満は漏らさなかったし、自分の時代が来る日をただ謙虚に待ち続けた。
先生からの教え その5
新しいことであっても、それが成長させてくれるものであるなら恐れずに挑戦しよう。ストレスを抱えたり、問題にぶち当たるかもしれない。特に私のように静かで内気な人はそうだろう。しかし、頂点に登り詰めたいと思うのなら、いつかはその居心地の良い場所から出ていかなければならなくなる。私たちは誰一人として同じ人間はいないが、誰しもが好きではないこと、気分が乗らないことを乗り越えなければならない。それはインタビューかもしれないし、初対面の人と顔を合わせることかもしれないし、フィーチャーマッチエリアでプレイすることかもしれない。みんなが恐れるものすべてに当てはまる。より早く挑戦し始めた方が自分自身のためになるだろう。
世界選手権(2017-2019)
ワールド・マジック・カップ2017
ようやくここまできた。私のキャリアで最も輝かしい時期だ。最初の大きな成功はワールド・マジック・カップ2017であった。ポーランド代表としてピオトル・グロゴゥスキ/Piotr Glogowskiとラドスワフ・カチュマルチク/Radek Kaczmarczykと共に、ポーランドのマジックの歴史に残ることを成し遂げたのだ。今までになかった経験だ。ポーランド国民からいただいたあらゆるサポートが素晴らしかった。通常のプロツアーとは大きく異なるものでもあった。私はただのコヴァルスキではなかった。私はポーランド代表の一員であり、それをこの上なく誇りに思っていた。私たちは見事に準優勝し、世間の予想を大きく上回ることができた。
決勝戦はあの大会で間違いなく最強のチーム、日本代表だった。2人の殿堂プレイヤーにもう1人の偉大なプレイヤーが揃った日本代表は、私たちには少し荷が重い相手だったのだ。決勝戦は3マッチ全てが3ゲーム目までもつれ込んだ。私たちポーランド代表は世界で最強のチームをあと1ゲームというところまで追い詰めたのだ。決勝の模様をさらに知りたい方は、イベントのカバレージや動画、あるいは私が執筆した下記の記事をご覧いただければと思う。
- 2017/12/12
- コヴァルスキ先生のWMC17準優勝レポート
- グジェゴジュ・コヴァルスキ
世界選手権2018
2018年9月。世界選手権。世界の強豪から選ばれた24名が一堂に会する。そして私もその場所にいた!世界選手権に参加すること自体が偉業であり、大きな期待は抱いていなかった。ただ望んでいたのは、私なりの最高のマジックをプレイすること。本番終了後に鏡を見て、「全力を出し切った。彼らの方が上手だったのだ。また成長して、強くなって戻ってこよう」と言えるように。
そして、まさにそれが実現したかのようだった。私は力を精一杯ふりしぼり、何度か大きな運に恵まれつつ、決勝まで行くことができたのだ。
最終戦は大接戦であった。私はおそらくあと1枚土地があれば、夢に見てきた全てを手にすることができたのだろう。しかし最終的に、私は負けた。人生を通じてこれほど重要だったゲームはない。幸いにも、私はその週末にどれだけの幸運に恵まれたのかを認識していたため、絶対に不満は言えないとわかっていた。だからこそ私はこの敗戦を見事に処理することができたのだ。
もしかしたら決勝で負けたのは私にとって良かったのかもしれない。大きな成功に飲み込まれ、考え方が変わってしまうのは想像に容易い。世界王者になったら、どうやって次の目標を立てれば良いのだろう?マジックにおける”全て”を達成したにもかかわらず、どうやれば頂点に君臨し続けるためのハードワークをこなすように自分を言い聞かせることができるのだろう?
幸い、私たちはハビエル・ドミンゲス/Javier Dominguezに尋ねることができる。彼は紛れもなく世界王者にふさわしいプレイヤーであり、私の上記の疑問に完璧な回答を持っていることを今年に示してくれている。私もいつの日か彼のいる次元にたどり着き、世界王者にふさわしい人間がもう一人いるのだと世界に知らしめたい!
- 2018/10/10
- コヴァルスキ先生の世界選手権2018レポート
- グジェゴジュ・コヴァルスキ
- 2018/10/15
- 栄光の世界王者
- ハビエル・ドミンゲス
先生からの教え その6
勝負を恐れてはいけない。常に自分自身に集中し、精一杯のプレイを心掛けるのだ。世界を代表するプレイヤーと対面すれば、恐怖心に支配されやすい。しかしあなたがしっかりとプレイすれば、彼らが圧倒する余地を大きく与えることはなくなる。マジックはチェスのように上手いプレイヤーがほぼ毎回勝つようなゲームでではない。マジックにおいては、対戦相手が誰であろうとも、常に勝つチャンスがある。しっかりとプレイしたうえで負けたとしても、その日の終わりは幸せな気分になり、自分自身を誇りに思うはずだ。
決して目標を大会で優勝することにしてはいけない。あなたが持つべき目標は、自分のスキルを磨くこと、そして昨日よりも優れたプレイヤーになることなのだ。これに集中することができれば、自ずと勝利もついてくるだろう!
誰もたどり着いたことのない高みへ(未来)
マジックは私の人生に多くのものをもたらした。素晴らしい友人、世界中を旅するチャンス。マーティン・ジュザ/Martin Juzaのソーシャルメディアを追いかけながら、およそ10年前に夢見ていたことが今まさに実現している。そして今、マジック・プロリーグに所属し、快適に生活できるだけの稼ぎを得るようになった。
これから未来は何をもたらしてくれるのだろう?それは私にもわからないが、いつかのようにこれだけはみなさんと私自身に約束できる。私はできる限りのハードワークをし、できる限りの優れたプレイヤーになる。トップレベルの他のプレイヤーは私よりも賢く、経験が豊富かもしれない。しかし、私ほどハードワークをしようとするプレイヤーが多くないと私は確信している。マジックが私に何かを教えてくれたとすれば、それは間違いなくハードワークが大きく報われるということだ。私を信じて欲しい。努力は必ず報われる。
ここまでお付き合いいただきありがとう。
グジェゴジュ・コヴァルスキ (Twitter / Twitch)